大津港
おおつこう
Otsuko
北茨城市の主要観光名所の最寄り駅
2面3線ホームの欲に言う「国鉄型配線」の駅。2番線は上下兼用の待避線で定期列車では上り特急の通過待ちがある。水戸方面からの最終列車は当駅止まりであり、着いた列車は高萩駅まで回送され、翌朝の高萩始発の水戸線直通小山行きになる。この大津港行きは国鉄からの伝統らしい。
北茨城市および茨城県最北端の駅であり、次の勿来駅からは福島県いわき市に入る。ちなみに「大津港」とは北茨城市大津町にある港の事。
路線
常磐線
日暮里起点
178.7km
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
開業日 1897年(明治30年)2月25日
運営形態 業務委託駅
※2021年7月現在の配線図です。
設置場所 | 改札外 |
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備考 | ときわ路パススタンプラリー(2023)による限定設置 |
常陸大津の御船祭。5年に1度、5月2〜3日に開催される北茨城市の佐波波地祇(さわわちぎ)神社の例大祭。海上の安全と大漁を願うもの。2日に渡って行われ、2日目の本祭りでは神輿を乗せた祭事船が港まで陸上渡御する。祭事船は普段、漁業歴史資料館よう・そろーに展示されている。この形態が他に類を見ないものであることから国指定無形民俗文化財に指定されている。
駅名標
駅名標2
茨城デスティネーションキャンペーン開催に伴い地域の特色を生かした駅名標になった。当駅は五浦海岸
縦型駅名標
番線表示
ホーム
岡倉天心の六角堂 景勝地五浦海岸の大津港駅、とうっすら描かれている
駅事務室
駅舎の中
「お」はようございます「お」でかけですか「つ」いつい忘れがちですが「こ」ろな対策「う」がい手洗い消毒を!!
駅前ロータリー
駅の出入口が六角堂風
駅の外のトイレ
北茨城市に関するもの
駅の看板
跨線橋を渡って駅の反対側
六角堂を模したものがある
ようこそ北茨城市へ
あんこう鍋
あんこうなべ
北茨城市名物
茨城県沖はあんこう漁が盛んであり、「東のあんこう、西のフグ」と称されるほどの名物。茨城県北部で主に提供されている。味付けは味噌仕立てか醤油仕立てが一般的であっさりした風味のものが多い。冬が旬で12〜2月頃は肝が大きく育って特においしいと言われている。基本的に2人以上で食べるあんこう鍋が主流だが、1人でも食べられる定食タイプのあんこう鍋を提供するお店もある。
1人用のあんこう鍋定食
あんこう鍋定食を提供する「和風レストラン松野屋」。大津港駅から約2km
「まるいち」のどぶ汁定食
どぶ汁とはあんこう鍋の一種。あん肝が溶けて汁がどぶのように濁ることからそう呼ばれる。味付けは味噌
シメはご飯を入れて食べる
季節限定でどぶ汁定食を提供する「まるいち」。大津港駅から約1km
茨城大学五浦美術文化研究所
いばらきだいがく
いづらびじゅつぶんかけんきゅうじょ
大津港駅から約3km
文人の岡倉天心(おかくらてんしん)が愛した景勝地「五浦海岸」を管理、日本の近代美術や内外の文化・歴史研究を行う研究所。入場料を払うことで研究所が管理する五浦海岸を歩くことができる。五浦海岸は「関東の松島」と呼ばれ、岡倉天心旧宅と合わせて国の登録記念物に登録されている。
関連資料の展示室である「天心記念館」
炭酸塩コンクリーションのブロック。五浦海岸独特の風景を形作る岩塊で、堆積物に鉱物がしみ込むことによってつくられ「天然のセメント」とも言えるほど固く風化にも強い
岡倉天心設計の「龍王丸」。和船とヨットを組み合わせて造られ、岡倉天心は釣り好きだったようだ
岡倉天心像
ラングドン・ウォーナー像。天心の教えを受けた美術史家で第二次大戦中、爆撃対象から奈良・京都などの日本の都市を外す文化財リストとアメリカ政府に提出したとされる
「亜細亜ハーなり(アジアはひとつなり)石碑」。天心が没して25年後に日中戦争が勃発し「東洋の理想」の冒頭の言葉「Asia is one」は大東亜共栄圏の戦争遂行の理想の一つして利用され、一躍世に広まった
シンボルの「六角堂」。一度は東日本大震災の津波で流失したが、多くの人々の給付金によって再建された
六角堂の再建に用いられた六角堂用丸太底部。いわき市から切り出された樹齢150年の杉。この杉の赤身は水に強く海辺に建つ六角堂には最適の素材である
周囲の風景を庭園に見立てる「雪見灯篭」
六角堂から見る景色。この辺りの地層は約1650万年前のもの
ごつごつした特徴的な岩石は「炭酸塩コンクリーション」といい、波の浸食に耐えている硬い岩の塊
登録有形文化財の「天心邸」。岡倉天心が住んでいた
倉庫跡
五浦岬公園
いづらみさきこうえん
大津港駅から約3km
太平洋に突き出す大津岬にある公園で景勝地。公園内に建つ高さ16mの「五浦岬・展望慰霊塔」は東日本大震災の犠牲者を慰霊するために北茨城市が建てたもの。この塔には上ることができ、太平洋を一望できる。
太平洋を眺める
五浦海岸を眺める
公園内に歌碑がある
岡倉天心をモデルにした映画「天心」のロケセット
大津岬灯台
天心記念五浦美術館
てんしんきねんいづらびじゅつかん
大津港駅から約3km
岡倉天心をはじめとする五浦の作家たちの業績を顕彰するとともに優れた作品を展示する美術館。太平洋を一望できる五浦海岸の高台に立地している。常設展は原則的に撮影不可だが一部は可能となっている。また、近現代の日本画を中心とした企画展を随時開催している。
一部作品は撮影できる。こちらは「五浦の朝」
「五浦の月」。月明かりに照らされた五浦の海の風景を描く
「鹿島神宮」。茨城県鹿嶋市にある神社。昭和3年に拳行された昭和天皇の即位大典を奉祝する奉納画として、茨城県から依頼されて制作したもの
「筑波山」。鹿島神宮と筑波山が茨城県を代表する信仰地として栄えた
右は力強く落下する滝をぼかしと柔らかい色彩で描き、秋の情緒を醸し出した「飛泉」、左は紅葉した樹木と川、山から降りてきた猿を色彩の濃淡や微妙な変化で遠近感を表現した「秋渓」
「晩秋月夜」。たわわに実った稲穂の前に3羽の鶉(うずら)が描かれている
岡倉天心肖像レリーフ
和紙と原材料
天然岩絵具と原石
筆と原毛
令和5年9月13日(水)〜11月26日(日)の企画展は「間島秀徳展 天地無常」。間島秀徳(まじまひでのり)は、茨城県かすみがうら市を拠点として水をテーマに制作する画家
Untitled。墨で下地を作った後、水とともに流れる大理石粉の痕跡を絵画化した作品
Untitled
Kinesis No.650(seamount)
Untitled
Kinesis No.548(seamount)
Kinesis No.699(cosmic flow)
Kinesis No.749(sansui)
カフェテリア「カメリア」の五浦ブラックカレー。1650万年前から五浦の海底に存在する巨大ガス油田をイメージしたイカスミカレー
奥久慈プリン。奥久慈たまごの濃厚プリン
ミュージアムショップ。五浦サブレと五浦コヒー
五浦コヒーと五浦サブレでコーヒータイム
滄海広場の葉桜
美術館後ろの展望台から見る景色
福島県いわき市の小名浜港
美術館下にある天心遺跡記念公園から見る景色
漁業歴史資料館よう・そろー
ぎょぎょうれきししりょうかん
よう・そろー
大津港駅から約2.5km
北茨城市の伝統文化や漁業などについて学べる資料館。北茨城市大津町の例大祭「常陸大津の御船祭」で実際に使用される祭事船、大津漁港の漁師が使う魚具、東日本大震災による被害、北茨城市の特産品であるあんこうについての展示などがある。「よう・そろー」とは船を直進させることを意味する操舵号令のこと。
常陸大津の御船祭で実際に使用されている祭事船。常陸大津の御船祭は5年に1度、5月2〜3日に行われる春の大祭。漁船に神輿を乗せての陸上渡御という他に例のない形態であることから、国指定無形民俗文化財に指定されている
神輿
北茨城の魚
バケツ
北茨城市の東日本大震災の被害。磯原海岸の二ツ島は上部が崩落して樹木を失い、高さは以前の3分の2になった
大津浜異人上陸劇場。1824年5月28日、大津沖に停泊したイギリスの捕鯨船から異人が大津浜に上陸した。ペリーが下田に黒船でやって来る30年も前に大津浜には異人がやって来ていた
北茨城市の中新統九面層の炭酸塩コンクリーションより産出したムカシオオホオジロザメ歯群。全長13〜16mに達する大型のサメで、歯は世界中から産出しているが大半は遊難した状態であり、同一個体の歯群及び脊椎骨の産出は少ない
あんこうコーナー
あんこうコーナー2
あんこうのつるし切り。あんこうは水分が多く、巨体な上にヌルヌルしているので金具にあごをひっかけ、大きな口から水を入れて吊るした状態で回転させながらさばく
あんこうの七つ道具。ほほ肉・皮・キモ・トモ(胸びれ尾びれ)・柳肉・ヌノ(卵巣)・水袋・エラの事。あんこうは骨以外全て食べることができ、部位によって歯ごたえや味わいも異なる。料理に使われるのはメスのあんこうだけで、オスは身体がとても小さく卵巣もないため料理に使われない
あんこう鍋
どぶ汁。「どぶ」とは全部、全てという意味であんこうのほとんどの部分を使った鍋
あんきも
共酢和え。肝のことを「とも」というのがこの料理の由来
あんこうの唐揚げ
大漁旗
北茨城市の「あんちゃん」と「こうちゃん」
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