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ひたち野うしく
ひたちのうしく
HitachinoUshiku
つくば万博の面影残す駅
JR東日本
常磐線(日暮里起点)54.5km
開業日 1998年(平成10年)3月14日
牛久市と都市再生機構が費用を負担することによって開業した請願駅。1998年開業とこの辺りでは新しい部類に入る。
2面4線ホーム。内側の2・3番線が本線で外側の1・4番線は特急通過待ち用の待避線。特急ときわ停車駅であり2023年現在、朝の上り2本と夜の下り3本が停車する。なおこの特急ときわは「龍ケ崎市」〜「土浦」間を5駅連続停車する。当駅に特急ひたちは停車しない。
1985年3月17日から同年9月16日までの184日に渡り開催された国際科学技術博覧会(通称つくば万博)へのアクセスを担う臨時駅「万博中央駅」の跡地に当駅は建設されている。万博中央駅には早朝と深夜以外の普通列車、エキスポライナーと呼ばれる臨時快速が停車していた。
2025年9月16日の日中より発車メロディーが「JRE-IKSTシリーズ」に変更された。
駅周辺
駅周辺は新興住宅地で綺麗な街並みが広がっている。
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| 設置場所 | 改札窓口 |
|---|
関東の駅百選認定。選定理由は「安全、環境を考慮した21世紀にふさわしいゆとりある駅」。ひたち野うしく駅は万博中央駅跡地に1998年3月14日に開業、翌年の1999年に関東の駅百選に選定されている。また駅舎の後ろに筑波山が描かれている。


駅名標。新興住宅地らしい、ひらがな交じりの駅名
茨城デスティネーションキャンペーン開催に伴い地域の特色を生かした駅名標になった。当駅は筑波学園都市。当駅はそちらへのアクセスを担う駅だったが、つくばエクスプレス開業によりその役割を譲った
縦型駅名標。当駅は近隣の駅と比較して、利用客の数控えめ
ホーム。常磐線でも新しい駅の部類に入るため、この辺りの駅とは違った雰囲気がある
待合室。1・2番線上り(上野方面)ホームやや牛久寄りにある。3・4番線ホームにはない
このタイルは、駅で回収したガラス瓶を使用しています
改札の外。改札外はかなり広い。曲面屋根はホームから駅舎へ、自由通路まで連続的に構成されている
駅構内から見る駅の出入口。先の歩行者用デッキから駅前の様々な所に下りられる
がんばれ!二所ノ関部屋 ようこそ牛久市・阿見町へ。当駅東口から徒歩約13分の阿見町に横綱の稀勢の里 寛の相撲部屋、二所ノ関部屋が立地
新興住宅地及び国道6号に近い西口。牛久駅とはまた違った近代的な街並み
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同じく新興住宅地の広がる東口。当駅は観光目的で訪れるようは場所ではなさそう。東に徒歩約10分程歩くと鉄道駅のない阿見町に入る
東口に「八兵衛さんの広場」。昔、ここは清らかな小野川の流れと田んぼが広々と続く美しい所であった。泉からは清水が尽きることなく湧き出て、村人は仕事の合間に泉に集まってはのどを潤し一休みするのが習わしだった。そんな村に働き者と評判の八兵衛がいた
ひたち野うしく駅の文字。駅名の由来は茨城県がかつて「常陸国(ひたちのくに)」と呼ばれていたこと、駅が牛久市にあること。「野」以外をひらがなにすることで柔らかいイメージ、親しまれる駅を目指した
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かつてここに、万博中央駅があった。国際科学技術博覧会、科学万博-つくば85が、筑波研究学園都市で開催されたのは、一九八五年であった。我が国の科学技術のメッカ筑波研究学園都市、および我が茨城の名を内外に高からしめるため、竹内藤男県知事、横田栄一県議会議長らが中心となって運動した全県民の熱意が、実を結んで実現したもので、「人間・居住・環境と科学技術」のテーマのもと、科学の先端技術を駆使して出展されたパビリオンは、国内、国外から八十を数えた。
二月十七日から九月十六日までの六か月の開催期間中に、会場を埋めた観客は二千万人を超える盛況で、このうち三百八十余万人が、牛久町大学中根字、鴨神、原田、兎谷津地内に、臨時に設置された常磐線万博中央駅を利用した。
万博中央駅の敷地面積は九・八ヘクタールに及び、さらに幅員三十四メートルの学園西大通り線が延伸され、万博中央駅から西大通り線を通して会場まで、日本で初めて連節バススーパーシャトルが運行し、観客輸送の主役を担った。
万博中央駅はまさに、科学万博つくば-85の表玄関としての役割を果たし、牛久町の面目を遠慮なく発揮した。世紀の祭典成功の一翼を担った万博中央の栄光を称えるため、ここに碑を建立して、永く記念とするものである。
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