勿来
なこそ
Nakoso
蝦夷(えみし)よ来る勿(なか)れ
難読駅として有名であり、勿来関を思わせる白壁造りの駅舎から東北の駅百選に選定されている。特急ひたち停車駅でありそれなりの本数が停車する。2番線の外側に複数の留置線らしきものがあり、現在は不要と判断されたのか本線と寸断され放置されたままになっている。
「勿来」とは「蝦夷(えみし)よ来る勿(なか)れ」という意味で設置された勿来関という関所が由来。「蝦夷」とは関東より北に住む人の事で、蝦夷は勿来関を越えてはいけなかった。簡単に言うと勿来は「来るな」という意味。
路線
常磐線
日暮里起点
183.2km
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業日 1897年(明治30年)2月25日
運営形態 業務委託駅
設置場所 | 改札窓口 |
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八幡太郎のおもかげ残す関跡の駅。これは当駅から約2kmの場所にある勿来の関公園を指している。八幡太郎とは源義家の通称。後三年の役で戦いを終えここ勿来の関を通りかかった源義家は「吹く風を なこその関と 思へども 道もせに散る 山桜かな」と詠んでいる。
駅名標
駅名標2
縦型駅名標。常磐線福島県最南端の駅
名所案内。勿来の関"吹く風を勿来の関と思へども道もせに散る 山櫻かな"、勿来海水浴場、四時川渓谷
ホーム。駅舎側が1番線上り(水戸方面)ホーム。特急停車駅である
勿来の関跡 当駅下車、西方約2キロメートル。勿来の関跡とは当駅周辺にある名所
1番線ホーム中程にある待合室。2番線はなし
ホーム間を結ぶ跨線橋内にあるサイン。磐越東線(いわき乗換)小野新町・郡山方面と案内している
改札。自動改札機が置かれているが、2024年1月11日より簡易Suica改札機に置き換えられた
駅前。駅前の国道6号を南に約3km進むと茨城県。県境あたりに勿来海水浴場。勿来の関公園まで徒歩約32分
東北の駅百選選定駅。選定理由は「勿来関を思わせる白壁造りの駅舎」
駅の看板。難読駅として知られている、旧勿来町の駅
駅前に「源義家(みなもとのよしいえ)」の像。源義家が勿来関を訪れた際に和歌を詠んだ事に因み、勿来の歴史的シンボルとして設置
駅前の彫刻。タイトルは「ずっと青空」
いわき市勿来観光めぐり。勿来海水浴場、勿来の関・文学歴史館、四時ダムなど
1番線ホームからでも利用できる駅前のトイレ
2番線外側にある草に覆われた線路。駅の外の跨線橋からだとよく見える。2番線の柵が設けられている場所は旧3番線だったとのこと。415系廃車待ちの留置で使われたのを最後に使用停止になったとか
跨線橋を渡って駅の反対側。住宅地となっている
勿来の関公園
なこそのせきこうえん
勿来駅から約2km
桜の名所として親しまれる公園。ここには奈良時代、北方の人々「蝦夷(えみし)」の南下を防ぐため関所が設けられていたという。多くの歌人が勿来関の和歌を詠んでいることから文学上の関としても知られている。
源義家像。勿来関で義家が和歌を詠んだことに因む
詩歌の古道。詩碑がたくさんある
源義家の和歌。「ふくかぜをなこそのせきとおもへども みちもせにちるやまさくらかな」
吹風殿
勿来の関に関わる和歌を紹介する勿来関文学歴史館
展示室
をしめともとまりもあへす行く春を 名こその山の関もとめなん
よひよひにかよふこころもかひそなき なこその関のつらきへだては
なこそせになこその関は行きかふと 人もかとめす名のみなりけり
江戸時代の宿場を再現した「不思議タウンなこそ」。当時の旅事情について学ぶ
人を乗せて運ぶ町駕籠。これは比較的裕福な商家や中層の侍などが用いていたとされる
江戸時代の明かりは庶民の家では贅沢なこと。ロウソクは高級品でイワシやクジラなどからとれる油を使うこともあった
勿来擬人化キャラクター「勿来 櫻慈(なこそ おうじ)」。勿来は「来るな」という意味があるのでやんわり断る常套句、クールなイメージ
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