内原
うちはら
Uchihara
イオンモール水戸内原最寄り駅
茨城県水戸市
JR東日本(2021年)約2,110人
常磐線
常磐線上り
土浦・上野・
東京・品川方面
水戸線上り
下館・小山方面
下り
水戸・日立方面
普通
2面3線ホームで2番線は上下線の待避線となっており特急通過待ちに用いる。また友部寄りにある留置線群の入出庫線も兼ねており、この留置線では常磐線と水郡線に使用する車両の停泊・洗浄・整備が行われている。留置線を備える駅だが内原止まりの列車はない。駅舎は2023年に向け橋上化が行われ、2022年11月26日には橋上駅舎の供用を開始した。
駅近くに北関東有数の大型店舗「イオンモール水戸内原」があるため利用客はそれなり。周辺は田園地帯であるが、商業施設が増加傾向にある。
路線
常磐線
日暮里起点
103.5km
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面3線
開業日 1889年(明治22年)1月16日
運営形態 業務委託駅
駅名標
駅名標2
駅名標3
縦型駅名標
縦型駅名標2
ホーム。2面3線。「友部」〜「勝田」間は水戸線直通列車があるため少しだけ本数が多い
かつてのホーム。2・3番線上野方面ホームは1番線ホームから跨線橋を渡って移動していた
1番線下り(水戸方面)ホーム中程にある待合所。橋上化後も残った
かつてあったホーム上のトイレ。橋上化後は駅舎内の改札階に移動し、さらに北口と南口に新たに設けられた
改札。屋根は旧駅舎の形状を引き継いだ三角屋根。大屋根にすることで豊かな内部空間を構築し、街並みや近隣の住宅街の街並みへの調和を図る
駅舎の中。橋上化に伴う仮駅舎。2021年2月26日よりこちらに移転した
かつての駅舎の中。当駅の橋上化により「土浦」〜「水戸」間の地上駅舎は高浜駅だけになった
橋上化前からの出入口。イオンモール水戸内原まで徒歩約10分。イオンモールの最寄り駅なためか、若者の利用が多く見られる気がする
仮駅舎の駅前
かつての駅前
駅前の公衆トイレ。北口南口両方にある
北口階段
イオンモール水戸内原。北関東有数、茨城県最大のイオンモール。オープン時は中核店舗がジャスコの名を冠した「ジャスコ水戸内原店」だったため愛称は「内ジャス」。名称が変わっても内ジャスと呼ばれているらしい
橋上化で新たにできた南口。当駅周辺は田園地帯が目立ち、そのせいか時折悪臭がした記憶
祝 内原駅南北自由通路及び内原駅橋上駅舎完成 令和4年11月26日
南口駅舎。デザインコンセプトは「農業との結び付きが深い地域であり、駅北の土地区画整理事業により創出された都市的機能との融合を目指し、まちの風土や文化と調和する、あたたかみのある駅」
内原駅の文字
仮駅舎の駅の看板
かつて駅の看板
かつての駅舎。ロータリーの屋根が駅舎を隠し、構図に迷った
駅舎改装中
橋上化するまでの仮駅舎
内原郷土史義勇軍資料館
うちはらきょうどしぎゆうぐんしりょうかん
内原駅から約1.5km
内原地区の歴史や文化、内原地区におかれた満蒙開拓青少年義勇軍についての展示を行う資料館。入館料は無料。満蒙開拓青少年義勇軍とは世界恐慌のあおりを受けた日本が特に大打撃を受けた農村を立て直すため、満州国への日本人農民を移住する計画を実行する16歳から19歳の開拓民の事。
訓練生の住まいである「日輪兵舎」。構造が簡単で工期が短く、低価格であることが特徴。建物の形が日輪(太陽)を表しているなどの理由から日輪兵舎と名づけられた
日輪兵舎の中。内部は中二階造りで、1棟あたりの最大収容人数は約75名。通常は60名ほどの訓練生を収容した
くれふしの里古墳公園
くれふしのさとこふんこうえん
内原駅から約3km
16基の古墳で構成される「牛伏(うしぶし)古墳群」に位置する公園。シンボルとして高さ17.3mの展望台「はに丸タワー」があり、タワーの最上階からは内原地区を見渡せる。春は桜の名所でもある。
牛伏17号墳。通称「お富士様古墳」
はに丸タワーは後ろから入る
これはいったい・・・?
希望のはにわ。はにわの口に手を入れると古代と宇宙からのメッセージが届くというが、2023年5月現在、何も聞こえなかった・・・
メロディーサウンド。コインを入れて耳を当てると美しい世界が広がるという。試しに5円玉を入れたが2023年5月現在、何も聞こえなかった・・・
最上階にあるパイプ。先ほどの途中階にあるパイプに声を発するとここから聞こえるのだろう
はに丸タワー最上階からの景色
イオンモール水戸内原が見えた
自然豊か
牛伏4号墳。通称「唐櫃塚(からうどづか)古墳」恐らく牛伏古墳群の古墳の中で一番大きい
牛伏4号墳の上に上る
無数の土器。本物かどうかはわからない
牛伏4号墳上からの景色
遊具のある広場
前方後円墳の形をした東屋
上って遊ぶ遊具
手洗い場
トイレ
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