江見駅
Spot
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道の駅 鴨川オーシャンパーク
みちのえき かもがわオーシャンパーク
江見駅から約2km
国道128号にある道の駅でサザエをイメージした外観が特徴的。3階建て構造で1階は売店、2階はレストラン、3階は展望テラスという構造。建物の前には人工磯の「千年磯」という人工磯の潮だまりプールが広がる。
物産館でお土産を買う。鴨川はレモンの栽培が盛ん
物産館でお土産を買う2。当道の駅限定デザインのびわパイが販売されている
鴨川産の「ところてん」を食べる
レストランで出世丼を食べる。鴨川で水揚げされたワラサ(ブリの幼魚)を唐揚げにし、鴨川産長狭米のご飯に乗せたもの。2024年現在、1日10食限定
レストランから太夫崎漁港が見える
最上階は展望台
展望台に描かれた鴨川ウォールアート。作品名は「豊かな海の生き物たちと広大な海を旅するクジラ」。豊かな海の生き物たちと、広大な海を旅しそれぞれの旋律を唄うクジラが描かれている
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花衣山
はなきぬやま
江見駅から約400m
旧江見小学校の裏側に位置する標高70mの小さな山。かつて「花のまち江見」を象徴する山として賑わっていた場所を地域の観光拠点として蘇らせるため、2022年3月26日に海を望む観光農園「鴨川江見花笠山」としてオープンした。
出入口の旧江見小学校
花衣山
ソテツの丘
頂上から江見駅側を眺める
江見駅
旧江見小学校
和田浦駅方面
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曽呂尋常小学校分教場跡
そろじんじょうしょうがっこう
ぶんきょうじょうあと
江見駅から約8km
戦後の日本で活躍した財政家及び城西大学の創立者「水田三喜男(みずた みきお)」の出身校。集会所と分教場の2棟の建物で構成されている。本校までは6kmあったため当時の低学年児童は本校に通うことができず、四年生までは分教場で授業を受けていた。1967年に廃校となり、現在は朽ちた状態になっている。
分教場内
一部損傷の激しい場所がある
分教場の隣にある集会場は比較的良い状態を保っている
黒板のある集会場内
台所
記念碑には城西大学の創立、分教場について刻まれている
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旧水田家住宅
きゅうみずたけじゅうたく
江見駅から約9km
戦後の日本で活躍した財政家及び城西大学の創立者「水田三喜男(みずた みきお)」が住んでいた家。国登録有形文化財に登録されており、自由に見学することができる。母屋は房総特有の特色が見られ、建設年代は江戸時代後期と推定される。
土間側
座敷。靴を脱いで上がれる
座敷2
屋根裏
春になると桜が咲くらしい
長屋門
正門
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酪農のさと
らくのうのさと
江見駅から約11km
日本で一番最初に酪農が始まったとされる嶺岡(みねおか)牧場。資料館で酪農のあゆみについて理解を深めることができる。鎌倉時代から戦国時代は軍馬を生産するために牧場が機能しており、江戸時代になると幕府が直接管理するようになる。八代将軍吉宗がインド産と言われる乳牛3頭を峰岡牧場で飼育し、疲労回復の増強剤や乳製品を作ったことが日本の酪農の始まりとされている。
牛乳パックコレクション
牛乳ビン
牛乳の製造に使われる様々な機械
牛乳を200cc、500cc、1000ccのパックに1時間当たり2100個詰められる牛乳充填機。アメリカ製
資料館は2階建て
搾乳機。昔は手搾りだったが酪農経営の規模拡大などに伴い機械搾りに移行した
乳牛の餌は健康な生活を維持する「粗飼料(そしりょう)」と栄養素を多く含む「濃厚飼料」に分かれ、バランスよく食べさせる事が大事
明治乳業のルーツとされる安房練乳所の看板。生乳は保存ができず利用範囲が狭かったためにバターや練乳の製造が明治26年頃から始まった
嶺岡種畜場(現嶺岡乳牛研究所)は牛の人工授精始まりの場所。これらの機械は牛の精液の検査や冷凍保存を行うもの
様々な品種の牛。日本の乳牛の99%は白黒模様のホルスタイン
酪農資料館に隣接する嶺岡牧場。ヤギと触れ合える
こいのぼり
ヤギ
三芳の牛乳アイスクリーム(左)、サノファームのアイスクリーム(右)
鴨川モーモージェラート
牛の胃袋の形をした築山
嶺岡乳牛研究所の前にある日本酪農発祥地の碑
白牛(ゼブー種)。八代将軍徳川吉宗公がインドの白牛3頭を輸入したことに伴い、千葉県酪農の里は白牛をシンボルとするためにアメリカより輸入した
山里めし&ソフトクリーム「みねおかいきいき館」
みねおかいきいき館のソフトクリーム
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