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青堀
あおほり
Aohori
戦争の遺構残す富津岬
JR東日本
内房線(蘇我起点)42km
開業日 1915年(大正4年)1月15日
富津市に位置する駅。駅舎から跨線橋を渡った先がホーム。1日朝1本に限り京葉線直通列車が利用できる。
一度塗装され現在の姿になっている開業当時からの木造駅舎。青い屋根が特徴的。
国鉄時代の時は貨物の取り扱いがあって君津寄りに貨物用のホームが存在していた。さらに戦前には富津岬方面への軍用引き込み線があり、大日本帝国陸軍陸軍技術本部の富津試験場に繋がっていたという。貨物列車で資材を運び富津岬で大砲類等の兵器試験を行っていたらしい。
駅周辺
君津駅周辺の住宅街が続いてきているような場所である。
当駅最寄り(?)の富津岬は展望台やキャンプ場などを備える東京都心から最も近い岬。当駅前から路線バスで結ばれている。
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| 設置場所 | 改札窓口 |
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国定公園 富津岬。富津岬は青堀駅から西に約8km程の場所にある東京湾に突き出た岬で、キャンプ場や展望台などがある。スタンプに富士山が描かれているのは富津岬が富士山百景の一ヵ所であることから。因みに富津岬はチーバくんの・・・おっと、誰か来たようだ。
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| 設置場所 | 改札窓口 |
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国定公園 富津岬。「DISCOVER JAPAN」とは国鉄が企画した観光キャンペーン。1970年の大阪万博終了から1か月後の鉄道の日から開始。万博終了後の東海道新幹線の利用客の低下をカバーするために行われ、その一環として特定観光地にしかなかった駅のスタンプを1400に増やした。
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| 設置場所 | 改札窓口 |
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乗車記念。JR千葉支社管内の乗車記念スタンプである。
駅名標。青木と大堀の合成地名である青堀村が由来。合併によりなくなり駅名や学校に残るのみ
縦型駅名標
ホーム。屋根なし、中程に待合室、島式ホームと駅出入口を跨線橋で結ぶ。「君津」〜「館山」間はこのタイプの駅が多い
待合室。内房線末端によく見られるタイプ
駅舎の中。内房線では千葉方面から見て最初の簡易Suica改札機設置駅。利用客はそこそこなため出場用は2機ある
駅前ロータリー。出入口は東側の1か所だけ。ローカルな駅舎に反して立派なロータリー。少し歩いた先に国道16号線がある。駅前から富津岬行きのバスが発着する
富津市の将来像として「人と自然と産業が調和した活力ある豊かなまち」を基調にデザインされた時計塔
富津観光ガイド。海水浴場、潮干狩場、関東富士見百景(富津岬)、マザー牧場、市民の森、東京湾観音、もみじロード、鋸山地獄のぞき、鋸山より東京湾を望む
富津市の地図。自由通路の階段をのぼって東口におりると、古墳群の詳しい案内図と史跡情報案内所があります。
駅前にある富津市指定史跡「上野(うわの)塚古墳」。海岸線に最も近く、最小規模の前方後円墳
ようこそ富津岬へ
跨線橋を渡って駅の反対側。こちらも大きめなロータリー
駅の反対側にある古墳の里ふれあい館。入館無料の展示館。富津市北部に位置する青堀駅周辺には確認総数48基の内裏塚(だいりづか)古墳群が分布。中でも内裏塚古墳は千葉県内では最大規模の古墳で、国の史跡に指定されているとのこと。因みに中には公衆トイレがある
駅の南北を結ぶ跨線橋。当駅の出入口は北に向いており、南側から回り込むのは不便。跨線橋があるということは南側からかなりの需要があると考えられる
駅の看板
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富津岬・富津公園
ふっつみさき・ふっつこうえん
青堀駅から約8km
東京湾に面して5kmほど突き出した岬。海水浴場やキャンプ場、展望台や公園などがあり観光客が集まる場所。君津市を流れる小糸川(こいとがわ)によって運ばれた土砂が、南西方向の沿岸流のため細長く蓄積して出来たといわれる。また海に突き出た地形から敵国の艦船から首都を防衛するのに最適な場所だったため、第二次世界大戦終了まで要塞地帯としての役割を担っていた。その経歴から随所に戦争遺構が残っている。アクセス面は鉄道駅から遠いため、青堀駅前から発着するバスに乗って行く。
遊戯広場
野外劇場
屋内温室プール
岬の各地に戦争の遺構が残る。こちらは監的所(かんてきじょ)、トーチカともいうコンクリート製の防御設備。火砲の命中試験の際に中央にある窓から着弾の様子を確認した。富津岬には東京湾の防衛に加えて各種火砲や爆薬試験などを行う富津射場も置かれていた
監的所の中。小型の陣地としての役割もあったようだ。監的所はその佇まいから物言わぬ歴史の証言者として、平和の尊さを静かに語りかける存在
中の島は海水を引き込んでつくられた堀の中央にあり、橋で結ばれた中の島の高台には展望台が建っている。中の島は5角形の元洲堡塁砲台(もとすほうるいほうだい)と呼ばれる小型の要塞で、東京湾に向かっていくつもの砲台が置かれていた
大砲の台座だろうか、それらしき半円形の遺構。元洲堡塁砲台の上部に28センチ榴弾砲(りゅうだんほう)と12センチ加農砲(かのんほう)が据え付けられていたが、兵器や航空機の発達により大砲は旧式となり、実戦にて弾が発車されることはなかった
中の島の高台に建つ中の島展望台。高さ約9mの鉄筋コンクリート造
中の島展望台から見る景色。この先の明治百年記念展望塔とはまた違った緑の多い景色が楽しめる
元洲堡塁砲台の観測室と付属室。富津岬にあった軍事関連施設のほとんどは埋められているが、ここは石垣やレンガ積みの壁が当時のまま残る
付属室の中。富津岬に見られる戦争遺構の中で一番良い状態で残っていると思われる場所。アーチ状のくぼみは何に使っていたのだろう?
監的塀(かんてきへい)。二つの窓から50m先にある射入窖(しゃにゅうこう)に向かって兵器を試射し、速度や威力を確認する
射入窖(しゃにゅうこう)。暑さ約130cmの鉄筋コンクリート製、50m手前にある監的塀から打ち込んだ弾の速度や威力を確認していた。窖(あなぐら)とある通り人工の洞窟のようなもの
射入窖の中。奥行きはそれほどない。1922年から旧陸軍技術本部の実射試験場が置かれた富津岬。軍事機密になるため当時の資料は終戦後に焼却処分されてしまったようだ
森の散策コース。もともと砂地だった荒野に保安林としてクロマツの木が植樹されている
森の中に監的所がもうひとつ。こうして見るとロボットの頭みたいというか、滅びた古代文明の兵器みたいというか・・・
海沿いにある監視所。試射の際に赤旗を掲げ危険を知らせた。地元漁師の間では「ボウズ」や「山」の名で呼ばれ、海上からの目印となっている。無駄のない無骨な見た目
富津岬はその地勢から東京湾に吹き込む風をとらえやすくカイトサーフィンに最適とされている。その他ジェットスキーやウィンドサーフィンなどマリンスポーツが盛んに行われている
岬の南にある下州海岸。接する布引海岸と合わせて夏季は富津海水浴場が開設されるようだ。波が穏やかで遠浅な富津市最大の海水浴場
富津岬の最先端にある明治百年記念展望塔(富津岬展望台)。五葉松の木をモチーフに、明治百年を記念して昭和48年に建てられた。上ると迷路のようになっていて面白い。因みに富津岬の出入口からここまで約2kmある
展望塔の一番上。最上部の高さは21.8m。ここから東京湾と房総丘陵を一望できる
天気の良い日は富士山が良く見える。ここからの富士山は国土交通省関東地方整備局による関東の富士見百景に選定されている
展望塔から見える第一海堡(かいほう)。人工島の上に砲台を備えた東京を防衛するための海上要塞。明治から大正にかけて三つの海堡が建設されたが、このうち第三海堡は関東大震災による被害が大きく、崩壊した構造物が海中で暗礁化し航行の妨げになっていたことから2007年に解体されている
富津岬から見て第一海堡の奥に位置する第二海堡。現在これらの海堡は要塞の役目を終え、財務省の所管となり無断立ち入りは禁止となっている。船舶運航関係者からは海上混雑や海難事故の原因と言われ撤去を要求されているとも。立入禁止だが見学ツアーで一般人でも上陸できる機会があるようだ
夜明けの富津岬。明治百年記念展望塔は初日の出スポットとして人気らしい。初日の出時刻は例年6時49分頃
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千葉県のマスコットキャラクターであるチーバくんは千葉県に住む不思議ないきもので、食いしん坊でいたずら好きな一面を持つ。横から見ると千葉県の形になるようにデザインされているのはなかなか有名(?)かもしれない。
全体的に丸みをおびデフォルメされているが一目で千葉県とわかるデザインだ。ちなみに赤いのは「国体向けということでエネルギー力、情熱を感じるもの」ということで赤色らしい。
未知のものに立ち向かうときほど勇気と情熱がわき、体が赤く輝くようだ。千葉県の花と言えば菜の花という点で黄色が有力だった説もあり、もしかしたら黄色いチーバくんになっていたかもしれない。
千葉県の形をしたチーバくん。ここからは大人の事情の話になるが、チーバくんには千葉県のとある場所がないのだ。


富津岬、どこに行った?
・・・君のような勘のいい千葉県民は嫌いだよ。
ちなみにチーバくんのあそこはこんな感じです。
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