草野
くさの
Kusano
密かに当駅始発の普通列車あり
2面3線ホーム。いわき駅を補完するような形で両渡り線や留置線を備えている。留置線は夜にいわき駅から回送されてくる普通列車の夜間留置に用いられ、留置された車両は翌朝の草野始発水戸行きになる。留置線の錆取りに設定されているらしい。
2022年に旧駅舎を取り壊し、駅舎はコンパクトでシンプルなものに生まれ変わった。トイレがなくなってしまったが電車備え付けのトイレでしてくれと言うことだろう。
いわき市に位置する駅。いわき市は1966年に成立してから2003年までは日本で一番広い面積を持つ市だった。2019年現在では12番目に広い。
路線
常磐線
日暮里起点
214.8km
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
開業日 1897年(明治30年)8月29日
運営形態 無人駅
駅名標
かつての駅名標
かつての駅名標2
縦型駅名標
縦型駅名標2
ホーム。1本だけ密かにある、当駅始発の普通水戸行き
「くさの」の文字。跨線橋にあったような気がする
2・3番線ホーム跨線橋付近にある待合室
3番線の外側にある留置線。普通列車の夜間留置として使われている。いわき駅だけでは入りきらないとのこと
駅舎の中。建て替えにより規模は大幅に縮小し、有人駅だった頃の駅事務室はなくなり、自動券売機のスペースも撤廃
駅前。東側だけで反対側に渡る跨線橋はなし。国道6号に近い住宅街。駅リニューアル後はトイレが廃止されたため、当駅から徒歩約7分の国道6号にあるセブンイレブンかファミリーマートで用を足さなければならない
草野駅の文字。レトロな看板は撤去され、新しい文字がお見え
草野案内マップ。学校、公民館、神社、郵便局など特に目立った所はなさそう
かつての駅舎。まさかあんなにコンパクトになるとは
かつての駅舎ホーム側。駅舎側にベンチ、さらにゴミ箱まであった
駅舎側1番線上り(いわき方面)ホームにあったトイレ。電車ほとんど来ないのにトイレなしの駅は個人的に嫌だ
かつての駅舎の中。Suicaエリア対応前で簡易Suica改札機未設置の時。この時はSuica首都圏エリアがいわき駅までだった
2020年3月14日のダイヤ改正で当駅は首都圏エリアに編入したことで簡易Suica改札機が設置された
かつての駅の看板。旅情溢れる、レトロなフォント
薄磯海水浴場
うすいそかいすいよくじょう
草野駅から約10km
塩屋埼灯台の北側に位置する海岸。いわき市を代表する海水浴場として人気が高く、市内にある海水浴場で最多の海水浴客を記録している。日本の渚百選に選ばれる美しい砂浜と透明度の高い海が魅力的。
灯台付近
祈りの鐘。薄磯地区は震災で8.5m以上の津波が襲い、125名が帰らぬ人となったことを忘れないようにするためのもの
永遠のひばり像。美空ひばりが歌った「みだれ髪」の舞台となったこの場所に、いわき市民とひばりファンがご好意を持って建立したもの
いわき震災伝承みらい館
いわきしんさいでんしょうみらいかん
草野駅から約10km
薄磯海水浴場に隣接する形で立地。地震・津波・原発の被害に見舞われたいわき市の震災の記憶や教訓を後世に渡り発信する施設。震災関連資料やパネル展示、映像などで危険意識や防災意識の醸成等を図る。入館料は無料。
展示室
津波が到達した時刻で止まったタイムレコーダー
津波の衝撃でケースがへこんだ分電盤。これがあった旧いわき市立豊間中学校は津波が1階の天井まで迫っていた
旧いわき市立豊間中学校のピアノ。同校の体育館の新築を記念して寄贈されたが、津波のダメージでかすかな音しか出なくなった。市内のピアノ店の方は「寄贈した方の思いをずっと残したい」という思いなどから懸命な努力で修復し、蘇ったピアノは「奇跡のピアノ」と名づけられた
旧いわき市立豊間中学校の津波を受けた学習机
当館では市内沿岸部から流失した写真やアルバム、バッグ等の津波遺留品を保管している。その数約9万点
福島第一原子力発電所の事故を取り上げた新聞記事
塩屋埼灯台
しおやさきとうだい
草野駅から約10km
薄磯海岸の海抜73mの断崖に立つ灯高24mの灯台。立地と白亜の美しい外観から「日本の灯台50選」に選ばれており、日本で数少ない上れる灯台の1つとなっている。一度震災で被災し消灯してしまったが復旧し、現在も沖合40kmの海上まで光を放ち船の安全を守りつづけている。
灯台から見る薄磯海水浴場方面
豊間海岸方面
灯台の前に料金所兼灯台資料展示室がある
展示室内
灯台の光源は明治時代初期まで植物油を燃やした炎だったが、後に石炭ガス、石油、アセチレンガスとなり明治43年に自家発電設備による白熱電球を使用した光源の電化に成功する
青森県東津軽郡外ケ浜町にある平舘灯台の回転機械とレンズ。塩屋崎灯台資料展示室の開設を記念し展示されたもの
初代塩屋崎灯台で使われていたレンガ。初代はレンガ造りの灯台で、レンガ造りの灯台としては当時日本最大のものだった
石油二重芯灯器。初期の灯台光源には石油灯器(なたね油)が用いられていたが燃焼効力が弱かったので二重、三重の芯で効力を補強した
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