原ノ町

はらのまち

Haranomachi

常磐線の拠点駅のひとつ、Suicaエリアまたぎに注意

所在地

福島県南相馬市

1日平均乗車人員

JR東日本(2021年)約850人

Train line

常磐線

上り
いわき・水戸方面

下り
岩沼・仙台方面

普通

どんな駅?

南相馬市の代表駅であり駅周辺は南相馬市中心部。常磐線の拠点駅のひとつでもあり当駅を境に仙台方面、いわき方面と系統分離がされている。特急ひたち停車駅である。

 

2面3線ホームと留置線群を備える。当駅を跨いで運行する普通列車はなく常磐線においてはE531系最北端、E721系と701系最南端の乗り入れ先となる。折り返しは駅舎側1番線が仙台方面、2番線はいわき方面、3番線は両方面となっており、2・3番線は両方面との接続に用いられる。

 

当駅で系統分離される普通列車で行ける限界は2023年現在南限が水戸駅、北限が仙台駅。水戸行きの本数はそれなりにあり、基本的にいわき駅で約10分停車する。北限は朝に2本、東北本線の利府駅まで乗り入れる列車があったが2023年3月のダイヤ改正で仙台行きに短縮された。

JR東日本
 

路線

常磐線

日暮里起点
286.9km

 

 

駅構造 地上駅

 

ホーム 2面3線

 

開業日 1898年(明治31年)4月3日

 

運営形態 直営駅(管理駅)

 

Track wiring

原ノ町

※2021年8月現在の配線図です。

Stamp

設置場所 改札内
備考 廃止

武者絵巻の相馬野馬追(そうまのまおい)の駅。相馬野馬追とは相馬市と南相馬市にある相馬中村神社・相馬太田神社・相馬小高神社の祭礼。7月最終土・日・月曜日の3日間開催され、当駅から徒歩約30分の雲雀ヶ原(ひばりがはら)祭場地を会場とする。会場では騎馬武者が馬に乗り先着を目指す「甲冑競馬」、数百騎の騎馬武者が二本の御神旗を勇猛果敢に奪い合う「神旗争奪戦」などが行われる。

設置場所 改札内

武者絵巻の相馬野馬追の駅。相馬野馬追の起源は相馬氏の遠祖とされる平将門下総国小金ヶ原(現千葉県松戸市)に野生馬を放し、敵兵に見立て軍事訓練をした事と伝えられている。相馬野馬追には様々な神事があり、甲冑競馬や神旗争奪戦などは国の重要無形民俗文化財に指定されている。

設置場所 WEBアプリ「TRAIN TRIP」で入手

相馬野馬追。先祖伝来の旗指物を背負った騎馬武者。甲冑競馬の際に響き渡る指旗のはためく音、甲冑のすり合う音、馬蹄が土を蹴散らす音は相馬野馬追ならでは。開催日は2023年度までは7月最終週だったが、2024年度からは近年の猛暑対策として5月最終週に変更された。

Gallery

駅名標

駅名標2

縦型駅名標

縦型駅名標2

縦型駅名標3

ホーム

側線

サイン

東京2020オリンピック・パラリンピック開催までのカウントダウン

祭礼である相馬野馬追(そうまのまおい)のイラスト

東北デスティネーションキャンペーン「ようこそ、原ノ町駅へ。」

Suicaエリアを"またがった"ご利用にご注意ください。小高以南は首都圏エリアに入ってしまうためエリアまたぎとなってしまい精算ができない。きっぷで行けば問題なく移動できる

奥州相馬氏下向700周年

こいのぼり

待合室

待合室2

相馬野馬追の旗指物

臨時特急相馬野馬追号東京行き、発車前

原ノ町驛団体専用

武者の格好をしたムコナくん

ホーム同士を繋ぐ跨線橋の中

駅舎の中。閉鎖したびゅうプラザを利用した原ノ町駅陣屋という展示スペースがある

2024年相馬野馬追2日目、帰りの時間帯で混雑

Windowsだったのか・・・

南相馬観光協会公式キャラクター「末馬(みま)」

ベンチが畳

装飾された駅舎の中

ひな壇

原ノ町駅陣屋の中には相馬野馬追に関する展示。甲冑の試着や記念撮影ができるとか

展示物を見る

ニューデイズ。上に馬の絵がたくさん描かれた「駒絵百態」

NewDaysで発売!!5/26(日)限定、相馬野馬追弁当。相馬野馬追2024の2日目(日曜日)に販売された。またこの日は東京発着の臨時特急「相馬野馬追号」が当駅まで運行

相馬野馬追弁当を購入。1200円

焼き鮭、メヒカリの唐揚げ、カニカマ天など海の幸多め。また相馬野馬追の出陣の儀式「三献(さんこん)の儀」に因み打ち鮑(現在はのしいかで代用)、勝ち栗、昆布を使用

ニューデイズで販売している手造りアイスまんじゅう。南相馬市の松永牛乳が製造するご当地名物的存在

手「作」りではなく手「造」りなのは手作業でアイスの固まる前にあんこを入れたり、棒をさしているからだそう。ミルクが風味豊か

駅舎に相馬野馬追の様子が描かれた幕

駅出入口

駅周辺は南相馬市の中心地。現在の駅前広場は2023年04月19日より供用開始したもの

かつての駅前

駅の看板

歓迎 相馬野馬追 原ノ町駅長

跨線橋付近に相馬野馬追の騎馬像。現在はロータリーの中心に移動している

騎馬像と原ノ町駅

TOKYO 2020

跨線橋を渡って駅の反対側

Spot・Event

相馬野馬追

そうまのまおい

5月最終土・日・月に開催


国の重要無形民俗文化財に指定されている福島県相馬地方の祭典。相馬中村神社、相馬太田神社、相馬小高神社の三つの妙見社の祭礼。土曜日は宵祭り(よいまつり)、日曜日は本祭り、月曜日は野馬懸の3日間開催。見所は日曜日の本祭り「お行列」「甲冑競馬」「神旗争奪戦」となっている。

1日目(土曜日)の「宵乗り競馬」。雲雀ヶ原祭場地で開催。騎馬武者が馬場を疾走する

砂煙を上げ力強く走る

羊腸の坂を駆け上がる騎馬武者

土曜日のお行列

土曜日のお行列2

土曜日のお行列3

土曜日のお行列4

女性武者

2日目(日曜日)。お行列開催前

お行列開催前2

お行列開催前3

2日目(日曜日)の「お行列」。野馬追通り(小川橋付近〜雲雀ヶ原祭場地)で開催。総勢400騎の騎馬武者が雲雀ヶ原祭場地に向かって進軍する

お行列2

お行列3

お行列4

騎馬武者が次々に雲雀ヶ原祭場地に到着

甲冑競馬前、馬が同じ場所をぐるぐる回る「輪乗り」を行っている。馬の気持ちを落ち着かせるため

2日目(日曜日)の「甲冑競馬」。雲雀ヶ原祭場地で開催。兜を脱いで鉢巻を締めた騎馬武者が、旗指物をなびかせて疾走する。指旗のはためく音や甲冑のすり合う音、馬蹄が土を蹴散らす音が響き渡る

雲雀ヶ原祭場地を駆ける

2日目(日曜日)の「神旗争奪戦」。雲雀ヶ原祭場地で開催。天高く打ち上げられた二本の御神旗を数百騎の騎馬武者が奪い合うというもの

花火と共に打ち上げられ落下する二本の御神旗。旗は敵の首になぞらえている。旗を手にした騎馬武者は羊腸の坂を駆けあがる

山をバックに

神旗争奪戦終了、羊腸の坂を下りる

羊腸の坂を下りる2

道の駅 南相馬

みちのえき みなみそうま

原ノ町駅から約1.5km


国道6号線沿いにある南相馬市の道の駅。当地域の伝統文化行事の「相馬野馬追」に因んで「野馬追の里」の愛称を持っている。地元の特産品や農産物などを揃える特産販売所「のまおい市場」、レストランさくら亭、ギャラリー等がある。

物産販売所「のまおい市場」で土産物を買う

南相馬市ふるさと回帰支援センターのキャラクター「のまたん」の缶バッジ

さくら亭の「みそラーメン」

さくら亭の「なみえ焼きそば」

ポケモンのマンホール「ポケふた」がある。「ギャロップ」と「ラッキー」

ベンチが馬の形

東ヶ丘公園

あずまがおかこうえん

原ノ町駅から約700m


南相馬市の高台にある公園。相馬野馬追のメイン会場である雲雀ヶ原祭場地に隣接している。公園内は豊かな緑に囲まれ折ヶ沢溜池、各種遊具、南相馬市博物館を有する。桜の名所であり見頃の時期には多くの見物客が訪れるようだ。

折ヶ沢溜池

ローラー滑り台

蒸気機関車C50 103号機。1929年から製造されたC50の158両のうち103両目の蒸気機関車

蒸気機関車の運転席に入れる

相馬野馬追のメイン会場である雲雀ヶ原祭場地を見おろせる高台がある

雲雀ヶ原祭場地を眺める

原町無線塔頭部。磐城無線電気局の送信塔であり、同局は日本初の本格的対海外無線電信局として富岡町に受信所、原町に送信所を開所して対米通信を行っていた

パンタネリウム。海洋性プランクトンの仲間で、南相馬市小山田地区に分布する層からこのパンタネリウムの化石が多く見つかっている

南相馬市博物館

福島県の郷土料理「がにまき」。生きたモクズガニを甲羅ごと潰してザルでこし、水を加えて火にかける。すると卵とじのようにカニの身がふわふわと固まって浮いてくる。味噌と醤油で味付けし、豆腐やネギ、ミツバなどを加えて完成

スバル360。1964年の東京オリンピック開催を前に高速道路網や新幹線の整備が進み、自家用車を持つ家庭が増えた。スバル360はその時代を象徴する軽自動車

千年余りの歴史を持つといわれる相馬野馬追は、相馬人の心と気質(武士道)をつちかってきた伝統ある行事

野馬追は妙神社の祭礼であり、武術の訓練であったため鎧や弓などに加え神輿や太鼓など祭りの持ち物がある

現在の野馬追の行列

コエルロサウルス類と考えられる足跡の化石。足跡が深く押し込められた時に、その下の地層にできた輪郭がはっきりしない跡で「アンダープリント」と呼ばれるタイプの足跡化石

ニホンザルの剥製。震災後、人家や海岸付近に行動範囲が広がり農作物に被害をもたらしている

ハラマチクジラの背骨。原町区から発見されたことから通称「ハラマチクジラ」と呼ばれているが、頭部が発見されていないために詳しい種の特定はできない

長瀞(ながとろ)遺跡の製鉄炉。これは実物であり原町区・鹿島区に広がる金沢製鉄遺跡群の原町火力発電所に伴う発掘調査により発見された。7世紀後半から10世紀初頭まで鉄を生産したことがわかっている

製鉄炉を上から見る

原の町宿の町並み。江戸時代、行方郡南新田村の原の町は野馬追行事の中心地として、また浜街道の宿場町として栄えていた

原ノ町駅は平(いわき)から仙台までのほぼ中間に位置し、地元の人々の熱心な誘致によって駅には機関庫がおかれ多くの職員が働くようになっていった。駅通りには商店が並び活気を帯びてきた

1943年に原ノ町駅が改築された際に用いられていた柱。当時は鉄などの金属物が戦争のために供出され、コンクリートの中に鉄の代わりで竹を用いている

かつての原ノ町駅駅名標

昭和20年の終戦まで使われていた駅名表札

昭和40年代の行先表示板

常磐線で使用されたタブレットキャリア

常磐線を初めて走った蒸気機関車のネームプレート

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