双葉
ふたば
Futaba
震災後9年ぶりに再開した、双葉町唯一の駅
双葉町に位置する駅。特急ひたち停車駅である。2020年3月に常磐線が全線開通し、駅周辺は避難指示が先行解除され歩くことができる。2022年春ごろをめどにさらに広範囲の避難指示解除と住民の帰還開始に向けた取り組みが進行中である。
現在の橋上駅舎は震災後に建てられたものだが、旧駅舎は取り壊されることなく現在の駅舎の隣に残され休憩スペースとして活用されている。かつて当駅と隣の大野駅までは複線であり当駅も2面2線ホームだったが、震災後は単線化され当駅の上り線が廃止されて1面1線の棒線駅になった。
路線
常磐線
日暮里起点
263.7km
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 1面1線
開業日 1898年(明治31年)8月23日
運営形態 無人駅
駅名標。双葉町唯一の鉄道駅。特急ひたち停車により東京都心と仙台が乗り換えなしで結ばれている
駅名標2。この辺りは駅が1つの町ごとに設置されているため、特急ひたちが3駅連続停車する
縦型駅名標。開業当時は長塚村にあったため、駅名が長塚駅だった。双葉町に改称後当駅も双葉駅となる
ホーム。営業休止前の2面2線のホームから上り線を廃止し1面1線に縮小された
廃止されたホームに下りる階段があるが、柵が設けられていて駅の外に出る階段になっている
コンクリート3Dプリンター列車型ベンチ。JR東日本 東京建設プロジェクトマネジメントオフィス・(株)曾澤高圧コンクリート作成。同社が福島県浪江町に研究開発拠点を設けていることから、常磐線を走るE657系・E531系をモチーフとして作成
改札。乗車駅証明書発行機、簡易Suica改札機の置かれた無人駅。閉まっているが窓口が設けられている
双葉駅空間線量率。福島第一原子力発電所最寄り駅の隣だが同じ隣り合わせの夜ノ森駅よりも低い数値
インフォメーションボード。訪問当時は常磐線全線運転再開
駅舎から見るホーム。片側1線が廃止され単線になっている
西口。訪問当時は工事中のためほとんど歩けない
西口。2024年4月29日時点。公園のような駅前広場と公営住宅の「えきにし住宅」が造成されている。当駅西側は山と丘の間に谷筋があってその先に田んぼがある日本の原風景「谷戸」が広がっていた場所。それを背景とした建築様式を取り入れている
双葉駅西側地区 公営住宅プロジェクト。「暮らしのよろこび」を分かち合う標葉(しねは)の情景のなか仲間たちと育む「なりわい暮らし」
ロータリーのある東口。当駅橋上化からの駅前。後に双葉町役場の新庁舎が駅前に建つ。東日本大震災・原子力災害伝承館まで徒歩約27分
2024年4月29日時点の東口。双葉町役場の新庁舎が2022年9月に開庁。災害時に電源を確保するための太陽光パネル、町民同士が交流できるスペースが設けられている
ふたば、ふたたび☆と書かれた消防用貯水タンク
震災前駅舎として利用されていた建物。現在は町の情報発信や休憩・待合スペースとして解放しており、誰でも利用できる
旧駅舎にからくり時計がある。針は地震発生直後の2時46分で止まったままになっている。修理にお金がかかるようで現在は停止中の模様
東京2020オリンピック聖火リレー記念碑。新型コロナウイルスの影響により延期となっていた東京2020オリンピック聖火リレーが2021年3月25日双葉町で実施された。
双葉町案内マップ。双葉町産業交流センター(F-BICC)、東日本大震災・原子力災害伝承館、ビジネスホテルARM双葉
双葉駅の文字
東日本大震災・原子力災害伝承館
ひがしにほんだいしんさい・
げんしりょくさいがいでんしょうかん
双葉駅から約2km
東日本大震災により福島県で発生した地震・津波・福島第一原発事故の災害の実態や、復興に向けた歩みなどの展示を行う施設。複合災害の記録や教訓、復興する過程を収集・保存・研究し世界に発信を行っていく。一部写真撮影可能。
県立小高商業高校に残されていた2010年3月改正の小高駅時刻表
地震で変形した側溝のふた
止まった時計。左は津波到達時刻、右は地震発生時刻
地震により落下した体育館のダクト、照明
津波に巻き込まれた常磐線
基礎ごと流されたポスト
避難所になった体育館に残されたパイプ椅子と新聞
黒板に残されたメッセージ。富岡町民が富岡町から川内村へ避難したが、原発事故が深刻化し川内村民とともに郡山市に再度避難。富岡町民が川内村を出るときにメッセージが黒板に書かれた
津波で「く」の字に曲がったガードレールの支柱
イノシシに食べられた缶詰の残骸。避難指示区域は長期間に渡って住宅が無人となり、家の中まで野生動物に荒らされた
フレキシブルコンテナバッグ。除染作業で発生した除去土壌等を中に入れ、仮置場等に一時保管した
2011年5月以降順次、一時帰宅が開始されたが放射線量が高く防護服を着用する必要があった。持ち出せる荷物は一抱えの袋だけで、持ち出したものも放射線量検査を受けた
3階、海のテラス
海のテラスからの景色
浪江町立請戸小学校のピアノ。震災当時、請戸小学校の2階にあったが津波により10cmほど浸水。その後も使われていたが2021年10月24日に請戸小学校が震災遺構としてオープンしたのに合わせ、浪江町から借りて展示している
原子力正しい理解で豊かな暮らし。この標語を掲示したアーチが双葉町の国道6号線に沿った場所と双葉町役場庁舎前に設置されていた。なおこれはレプリカ
津波により変形した消防車
当館に隣接する双葉町産業交流センター(F-BICC(エフビック))。双葉町の復興をけん引する複合施設。フードコート、レストラン、土産物店等の商業施設も入っている
震災遺構 浪江町立請戸小学校
しんさいいこう
なみえちょうりつうけどしょうがっこう
双葉駅から約4.5km
福島県唯一の震災遺構。整備と保存を行い防災について考えるきっかけ、後世へ伝承していくための施設として一般公開が行われている。大平洋から300mしか離れていない立地だが、残っていた児童82人は教職員の迅速な判断により全員無事に避難することができた。
鋳鉄地蔵尊像。請戸字本町の薬師堂に安置されていたが薬師堂は東日本大震災による津波で倒壊。この像は流出してしまったが請戸川近くの津波流出集積場で発見された
普通教室。ここは3年生
黒板、ロッカー
多目的スペース
倒れた2年生教室の壁。津波の威力により壁が倒された
歪んだ1年生教室の壁。海側から一番遠いこの教室の壁が流出していないことから、海に近い方が強い衝撃を受けたことがわかる
体育館非常口。大津波の影響により曲がった
洗面所。よく見ると蛇口が曲がっている
保健室
放送室
印刷室
壁から引き剥がされた複合盤。津波により壁は流され、角質の時計や火炎報知などを一括管理していた複合盤がむき出しになった
校長室の金庫。頑丈で重い金庫も津波の威力には勝てずに流された
積みあがった機器類。調理場で使用していた機器類が北側の検収室へ押し流され、積みあがっている
見晴らし台。東日本大震災の津波到達地点を青いパネルで表示。請戸小学校は2階床上10cm程度まで津波が浸水した
撤去済みだが請戸小学校には25mプールがあった。そのプールの手すりは津波の威力により歪んだが、方向が一定でない事から力が強かった場所とそうでない場所がわかる
校舎入口
下駄箱が設置されていたが、津波で跡形もなく流された
校庭側に設置されていた時計。津波により文字盤が曲がっている
請戸小学校2階
2階教室からの景色。左側にすぐ海が見える
自衛隊や警察、消防、地元建設者といった行方不明者の捜索に当たった関係者からの激励の言葉が校内の各教室の黒板に記された
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