成田空港
なりたくうこう
Narita Airport Terminal 1
(成田第1ターミナル)

所在地

千葉県成田市

 

1日平均乗車人員

JR東日本(2019年)約7,250人

京成電鉄(2019年)約13,200人

 

日本を代表する空の玄関口「成田空港」の地下にある駅

成田空港第1ターミナルの地下にある終着駅。JRと京成どちらも線路が単線なので電車の本数が意外と少なかったりする。

 

JRと京成が乗り入れる駅だが共に線路は保有しておらず、京成電鉄の子会社である成田空港高速鉄道という第三セクター方式の鉄道会社が線路を保有する。JRと京成は成田空港高速鉄道に対して線路使用料を支払うことで電車の運行を行っている。

INDEX

 

STATION GALLERY

 

SPOT

 

 

成田線

 

(上り)
千葉・東京方面

総武線快速
普通

京成本線

 

(上り)
京成船橋・
京成上野・押上方面

快速特急
特急
通勤特急
快速
普通

成田スカイアクセス線

 

(上り)
新鎌ヶ谷・
京成上野・押上方面

アクセス特急

STAMP

JR。関東の駅百選認定、世界へ一番近い駅。2000年に関東の駅百選に認定されており、選定理由は「世界の空の玄関口として、内外の多くの人々に利用される国際空港ターミナル駅」。駅の利用客は主要航空会社が集中する空港第2ビル駅の方が多い。

JR2。世界へ一番近い駅

京成。成田空港と京成パンダ。京成パンダの幼なじみである「ハナちゃん」と航空機が描かれる。ハナちゃんは京成パンダが密かに恋をしている噂があり、得意料理は「ポークピカタのパンダ星風、茹で落花生添え」 。エコロジーにも関心が高いそうだ。

STATION GALLERY

JR

駅名標

駅名標2

駅ナンバリング導入前の駅名標

縦型駅名標

ホーム。昇降式ホーム柵設置前

2020年3月19日から昇降式ホーム柵の使用を開始した

JRは昇降式ホーム柵、京成はホームドア

番線表示

番線表示2

成田エクスプレスは高尾まで乗り入れていたが2021年3月のダイヤ改正により八王子まで短縮となった

成田エクスプレスは大宮まで乗り入れていたが2022年3月12日に新宿まで短縮となった

大宮行き廃止とともに池袋行きも廃止され新宿発着になる

当駅発着の列車の大半は快速か特急であり各駅停車が乗り入れることはほとんどない

待合室

行先に加え新幹線接続と表記されているサイン

休憩スペース

謹賀新年

和を意識したデザインのトイレ

JRの駅長犬と京成の京成パンダとのコラボ

成田高等学校書道部による作品

関東の駅百選認定駅

検問所を通って駅前、成田空港第1ターミナル。どの路線から来ても出口は同じ

検問所出口。ここから中に入ることはできない

「みどりの窓口」ならぬ「あかの窓口」

かつての駅出入口。看板が赤かった

京成電鉄

京成本線駅名標

京成本線縦型駅名標

京成本線ホーム。ホームドア設置前

2020年7月11日から3番線ホームドアの使用を開始。2番線は9月12日

成田スカイアクセス線駅名標

成田スカイアクセス線縦型駅名標

成田スカイアクセス線ホーム。ホームドア設置前

2020年7月11日から5番線ホームドアの使用を開始。1・4番線は9月12日

サイン

成田スカイアクセス線4・5番線ホーム。スカイライナーが停車する

歌舞伎の隈取(くまどり)のような絵が描かれたベンチ

改札内

ステンドグラス

駅員作3100形

駅入口

かつての駅入口

SPOT

エアポートモール

成田空港第1・第2ターミナル内


成田空港第1ターミナル・第2ターミナル内にあるショッピングモール。ここは空港内の施設だが全国で一番の売り上げを誇るショッピングモールであり、なんと空港本業の収入を上回る。

5階は展望デッキがある。航空機を撮影をしている人が多い

展望デッキからの景色

NAAアートギャラリー

レゴブロックでできた風神雷神図屏風

自家製麺 杵屋(きねや)麦丸 成田国際空港第1T店

ローソン 成田国際空港第1旅客ターミナルビル5階店

Stylish Travel。何やこの厨パァ!

STATION DATA

JR東日本
駅構造 地下駅
ホーム

1面2線

開業日

1991年(平成3年)

3月19日

運営形態 直営駅・管理駅
路線
成田線
駅番号 JO37
キロ程

10.8km
(成田起点)

空港第2ビル
(1km)

年度別1日平均乗車人員
1991年 JR東日本成田線開業
1991年 6,500
1995年 4,140
2000年 3,670
2005年 3,700
2010年 5,840
2015年 6,740
2019年 7,250
京成電鉄
駅構造 地下駅
ホーム

2面3線

開業日
(京成本線)

1991年(平成3年)

3月19日

開業日
(成田スカイ
アクセス線)

2010年(平成22年)
7月17日

運営形態 直営駅
路線
京成本線
駅番号 KS42
キロ程

69.3km
(京成上野起点)

空港第2ビル
(1km)

京成成田空港線
(成田スカイアクセス線)

駅番号 KS42
キロ程

51.4km
(京成高砂起点)

空港第2ビル
(1km)

年度別1日平均乗車人員
1991年 京成電鉄京成本線開業
1991年 8,600
1995年 5,930
2000年 6,120
2005年 6,430
2010年 京成電鉄成田スカイアクセス線開業
2010年 11,500
2015年 10,900
2019年 13,200

成田空港

※2021年7月現在の配線図です。
JR

番線 路線 行き先 有効長 備考
1 成田線 成田・千葉・東京方面 15 基本的に成田エクスプレス
2 成田線 成田・千葉・東京方面 15 基本的に在来線

京成電鉄

番線 路線 行き先 有効長 備考
1 成田スカイアクセス線 新鎌ヶ谷・京成上野・押上・

都営浅草線・京急線方面

-
2 京成本線 京成船橋・京成上野・押上・

都営浅草線・京急線方面

- 4番線ホームと同一線上
3 京成本線 京成船橋・京成上野・押上・

都営浅草線・京急線方面

- 5番線ホームと同一線上
4 成田スカイアクセス線 日暮里・京成上野方面 - 2番線ホームと同一線上、スカイライナー専用
5 成田スカイアクセス線 日暮里・京成上野方面 - 3番線ホームと同一線上、スカイライナー専用

TIME TABLE

成田線

平日 2022年3月12日〜

 

成田エクスプレス日中の運行が復活したが大宮行きと池袋行きが廃止となった。また通勤快速も廃止になった。

平日 2021年3月13日〜

〜2022年3月11日

 

朝に停車駅の少ない通勤快速が運行される。成田エクスプレスは2020年5月1日から新型コロナウイルスによる利用客の減少を受け、日中は運行されなくなっている。また成田エクスプレス高尾行きがダイヤ改正により八王子行きに短縮された。

土休日 〜2020年3月13日

 

平日朝の通勤快速は運行されない。

京成本線

土休日 2022年2月26日〜

 

日中は全て快速西馬込行きとなり、日中は本線経由で成田空港駅から1本で京成上野駅に行けなくなった。

土休日 2019年10月26日〜

2021年3月26日

 

快速西馬込行きが設定された。

土休日 〜2019年10月25日

成田スカイアクセス線

土休日 2022年2月26日〜

 

スカイライナーが20分間隔運行に戻った。

土休日 2020年5月1日〜

2021年10月30日

 

スカイライナーは2020年5月1日から新型コロナウイルスによる利用客の減少を受けて減便され、日中40分間隔運行になった。

土休日 2019年10月26日〜

2020年4月30日

 

スカイライナーが増発され日中20分間隔運行になった。

土休日 〜2019年10月25日

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COLUMN

成田空港ができるまで〜序章〜

 

 

都心から約60km、年間利用者数4000万人以上を超える成田空港は日本最大の国際拠点空港である。開港から40年以上たった今も日本の空の玄関口として活躍している。

 

しかしそのような成田空港が現在に至るまで壮絶な過去があったのだ。今では考えられないような辛く、重いものである。

 

時は高度経済成長期の日本。1964年には日本は海外渡航(とこう)の自由化が始まり東京オリンピックも開催、羽田空港は非常に混雑していた。着陸ができずに旋回して待つ飛行機もいたほどだと言う。

 

1970年には大阪万博が開かれ、羽田空港の機能がパンクするほどまで利用客が増加した。この事態により新しい空港の設立が急がれた。

 

国は羽田空港に続く新たな国際空港を造ることを決め、次の5案が候補として挙げられた。

 

「羽田空港拡大」「木更津」「浦安」「富里・八街」「霞ヶ浦」である。霞ヶ浦は茨城県で木更津・浦安・富里・八街は千葉県だ。

 

 

まずは羽田空港拡大。しかし当時の技術力では空港周辺の海を埋め立て陸地にし、さらに羽田空港を拡大するのは難しかった。

 

浦安と木更津に新しく設立したとしても羽田の運行の邪魔をしてしまう。かといって霞ヶ浦は都心から遠すぎる。これで残った候補は「富里・八街」となり、ここに決められた。

 

しかし国は県や市に何も説明しないまま決めたため、地元の人は報道で知ることが多かった。これにより激しい反対運動が発生。

 

千葉県庁でデモを起こしたりなどの行為が続いたため、国は千葉県に協力を得ようとしたが、得られなかった。国が千葉県に対して保証などの話を何もしていなかったからだ。

 

その結果、富里・八街案は白紙撤回。また新たな土地探しが始まった。

 

国は新たな土地を探すだけでなく、空港の規模を必要最低限なものに縮小。面積は2000ヘクタールから1065ヘクタールに、滑走路は5本から3本に減らした。極力地元の人に迷惑をかけない形で場所を探したところ、御料牧場と県営林が4割以上を占める「成田」が見つかった。

 

 

今回はきちんと県や市に話し、1966年7月から工事を始めることに決定。これで空港を設立する準備が整った。

 

しかし、上手くはいかなかった。前回に引き続き再び反対派が現れたのだ。

 

成田の土地の大半は開拓地。戦後、満州から引きあげてきた人、沖縄の米軍基地建設により本州にやってきた人々が国有地などの払い下げを受け、20年のローンで地代を払っていた。このローンが1966年に払い終わるという状況だった。

 

偶然なのか、国際空港設立決定と土地のローンの終わりがちょうど重なってしまったのだ。日中は農家に出稼ぎ、夕方から深夜に自分の土地を開墾するという苦しい生活を終え、ようやく自分のものになるはずだった土地が空港設立のために取り上げられてしまう。このことに人々は激しく怒った。

 

前回の予定地だった富里と八街は反対派による運動で計画が白紙になったこともあり、「反対運動で白紙化できるなら我々も」という考えが生まれてしまったのだろう。

 

空港設立は国の施策であったために様々な思惑を持った政党や活動家、反権力思想を持った人々が介入し、反対運動は次第にエスカレートしていくのだった・・・・・

 

 

続く(空港第2ビルのページへ)

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