印旛日本医大
いんばにほんいだい
Imba Nihon-idai
(松虫姫)
北総線は終点、成田スカイアクセス線は成田空港へ
千葉県印西市
北総鉄道・京成電鉄(2019年)約3,130人
北総線・成田スカイアクセス線
上り
新鎌ヶ谷・東松戸・
京成上野・押上方面
下り
成田空港方面
アクセス特急
特急
普通
北総鉄道
駅名は日本医学大学の付属病院である日本医学大学千葉北総病院があることに因む。副駅名の「松虫姫」とは駅周辺にある「松虫寺」という松虫姫伝承地に基づくもの。
北総鉄道と京成電鉄の駅だが印西牧の原方面は千葉ニュータウン鉄道という京成電鉄の子会社、成田湯川方面は成田高速鉄道アクセスが第三種鉄道事業者として線路を保有している。
路線
北総線
京成高砂起点
32.3km
成田空港線
京成高砂起点
32.3km
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 1面2線
開業日 2000年(平成12年)7月22日
北総線
1面2線ホーム。普通列車の北総線は全て当駅折り返しとなるため上下線の間に2線折り返し線を成田湯川寄りに備えている。当駅から成田空港方面は成田スカイアクセス線のアクセス特急とスカイライナーのみの運行となる。
当駅止まりの普通列車は2番線に到着し回送、成田湯川寄りの折り返し線を用いて1番線に入り始発列車となる。この折り返し線は成田スカイアクセス線開業に合わせて新設され、普通列車のホーム占有時間を減らしアクセス特急の発着やスカイライナーの通過を可能にする。
出典「配線略図.net」https://www.haisenryakuzu.net/
※雰囲気を楽しんでもらうために作成したものです。実際の移動に使用しないでください。
設置場所 | 改札窓口 |
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関東の駅百選認定。選定理由は「森の中の駅舎をイメージして作られ駅構内無段差化などバリアフリーに配慮された斬新な駅」。当駅は町のシンボルとなるようデザインされており、時計塔とドーム屋根が目を引く外観である。駅構内無段差化とあるが、ホームには階段で下りる。
設置場所 | 改札窓口 |
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2005年「関東の駅百選」新スタンプラリー。印西牧の原駅は2004年4月23日~10月1日のニュータウン散策コースの一駅に組み込まれ他の駅はゆめが丘駅(相鉄いずみ野線)、若葉台駅(京王相模原線)、ひたち野うしく駅(常磐線)、センター北駅(ブルーライン・グリーンライン)であった。
駅名標。副駅名だが松虫姫をでかでかと表記。周辺の松虫寺の松虫姫の伝説に因む
縦型駅名標。副駅名をこちらでも表記
ホーム。北総線は当駅までで普通列車は全て当駅折り返し
上りは駅名の表記がなく、京成線・都営浅草線・京急線方面だけ
スカイライナーは当駅を高速で通過する。当駅には狭い場所があるため注意
ホーム成田湯川寄りにある待合室
待合室の中はかなり広い
ホーム成田湯川寄りの1か所に臨時ライナー乗車口。使うのは平日朝1本だけ
臨時ライナー整列位置。ホーム成田湯川寄りの1号車1か所だけ
階段、エスカレーター。駅にしては洒落た形のアーチ窓。海外のデザインみたい
北総鉄道の鉄道むすめ「白井まきの」。2022年10月2日デビュー。北総鉄道株式会社 駅務掛
当駅には展望台があり、改札内の階段から入れるようだ。しかし通常は公開されていない
改札内の待合スペース。目の前がマンションのためか、窓の上部に目隠しシートらしきものが貼ってある
手作りの「偉大神社」。印旛日本医大だけに偉大ということだろう
フォトスポット。過去に活躍した7000形、9000形
床を見る。12方位を表す方位盤か
改札。北総線の終着駅だが、利用客は少なめな数値
券売機が北総線方面(青色)と成田スカイアクセス線方面(オレンジ色)と別々になっており、きっぷの場合は行き先に応じて券売機を買えなければならない。経路による運賃計算の問題だろう
関東の駅百選選定駅。選定理由は「森の中の駅舎をイメージして作られ駅構内無段差化などバリアフリーに配慮された斬新な駅」
改札外はドーム状の屋根。天窓がついており駅構内に解放感を与えている
駅の出入口。ドーム屋根といい、階段部分のアーチ屋根といいどこか洋風
駅周辺は千葉ニュータウン「いには野」。日本医科大学千葉北総病院まで徒歩約17分、松虫寺まで徒歩約18分
印旛日本医大駅の文字
松虫寺
まつむしでら
印旛日本医大駅から約1.5km
松虫姫の伝説という言い伝えが伝わるお寺。聖武天皇の第三皇女「松虫姫」が僧の行基と供に薬師堂に来て、一心不乱に祈りを続けた結果、松虫姫の重い病が治癒したというもの。聖武天皇は、僧の行基に命じて七仏薬師を刻み一寺を建立し、姫の名に因んで松虫寺と名付けたという。
仁王門
薬師堂
印旛医科器械歴史資料館
いんばいかきかいれきししりょうかん
印旛日本医大駅から約100m
医療機器関連資料の展示や保存を行う資料館。元消防署の建物を活用した10の展示室に人工心肺装置や外科手術台といった大型医療機器、外科手術器具、古いものでは江戸時代の医療機器を展示している。入館料無料、写真撮影不可、月・水・金のみの開館で土休日は閉館。
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成田空港が新東京国際空港だった頃、成田線も京成線も成田スカイアクセス線もなかった昔。東京都心と新東京国際空港を結ぶ交通手段として1971年に成田新幹線が計画され、1974年に着工。1976年の開業を目指して工事が始まった。
計画ルートは東京駅-千葉ニュータウン中央駅-成田空港駅と約65km。このルートは東京駅から越中島・葛西・原木・鎌ヶ谷・千葉ニュータウン・印旛沼付近・成田市土屋を経由するというものだ。
東京駅は新宿方面の延伸を想定して、東京駅と有楽町駅の中間あたりの地下に新幹線の施設を建設。しかし後に工事が凍結することになるため一部の通路しか完成しなかった。そしてこの通路は後の京葉線連絡通路になる。あの長すぎる連絡通路である。プラットホームはJR東日本の手によって新たに建設された。
京葉線の一部区間は成田新幹線用の検討された用地を活用しているため、現在の京葉線「東京」~「越中島」間は成田新幹線とほぼ同じルート辿っている。成田新幹線は京葉線のルーツにもなっているのだ。
千葉ニュータウン中央駅は設置する予定ではなかったが途中駅なしだと採算性に問題があるとして設置されることになった。そのため設置個所は現在の千葉ニュータウン中央駅と同じ位置である。
現在の千葉ニュータウン中央駅周辺は成田新幹線用の敷地が空き地を利用して太陽光発電所(ソーラーパネル)が10.5kmに渡り設置されている。この敷地は北総鉄道・京成電鉄の千葉ニュータウン中央駅に隣接して成田新幹線の千葉ニュータウン中央駅が設置される予定だった。
空港第2ビル駅はまだ第2旅客ターミナル駅が完成していなかったため、後の完成を考慮して第2旅客ターミナルに駅が設置できるルートで建設されたのだった。
なおこのルートは京成電鉄が「新空港線」と位置づけ「京成成田」~「成田空港」間の駅の設置を予定していたが、成田新幹線の計画が優先された。このため京成電鉄は成田空港駅を予定していた場所から離れた位置に設置した。しかし後に成田新幹線の計画が白紙になるとJR成田線・京成本線に施設が転用されることになるため成田空港駅は現在の位置に変わる。当初設置された成田空港駅は東成田駅になるのだった。
続く(成田湯川のページへ)
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