成田湯川
なりたゆかわ
Narita Yukawa
アクセス特急のみ停車する新幹線みたいな駅
千葉県成田市
京成電鉄(2021年)約600人
成田スカイアクセス線
上り
新鎌ヶ谷・東松戸・
京成上野・押上方面
下り
成田空港方面
アクセス特急
北総線「印旛日本医大駅」から「成田空港駅」まで成田スカイアクセス線として延伸した際に中間駅として設けられた駅。当駅にはアクセス特急しか停車しないので電車の本数は40分に1本、さらに両駅間の距離が長いため初乗り運賃が高い。これらの理由から利用客が少ない。運賃は2023年7月現在、隣の印旛日本医大駅まで470円、同じく空港第2ビル駅まで530円と初乗りと思えないほど高額。
2面4線ホーム。中間2線はスカイライナーの通過に用いられる新幹線のような駅。単線区間になる空港第2ビル寄りにスカイライナーが速度を落とさず走行できる特殊な分機器が設置されている。また当駅から空港第2ビル方面は単線になるためか、印旛日本医大寄りに片渡り線を備え万が一の時は成田湯川行きとして折り返すことが可能。
当駅はJR成田線を跨ぐように駅が設置されているが成田線乗り換え駅にはならなかった。駅周辺の地域活性化の可能性は乏しく、成田市に成田線新設までの意欲がなかったとのこと。
路線
成田空港線
京成高砂起点
40.7km
駅構造 高架駅
ホーム 2面2線
開業日 2010年(平成22年)7月17日
※2022年6月現在の配線図です。
設置場所 | 改札外 |
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成田湯川駅駅舎、公津ヶ原(公津原)古墳。スタンプの車両は京成電鉄の3100形。成田湯川駅は印旛日本医大駅から成田空港駅まで成田スカイアクセス線として延伸した際に中間駅として開業した。上下線本線がスカイライナー用の通過線となっている新幹線のような駅である。公津ヶ原古墳は当駅から徒歩約15分。南北3kmの大地に総数120基を超える古墳群。手賀沼・印旛沼周辺には多くの古墳が分布している。
駅名標。京成電鉄の駅なのでデザインは京成準拠。駅ナンバリングもKS
縦型駅名標
ホーム。スカイライナーの通過に対応できる新幹線の駅のような構造。中央の通過線を時速160kmで駆け抜ける。当駅に停車する種別はアクセス特急のみ
待合室
待合室内のベンチ。不規則な高さにデザイン性を感じる
1番線上りホームから眺める成田ニュータウン
2階改札内。当駅は3階建て。人が少ない割に広い駅構内
成田湯川駅のジオラマ。成田湯川駅は新線区間唯一の駅で、成田ニュータウン地区の北側に位置し、印旛日本医大駅より8.43kmの位置に開設された2層高架駅です。
改札内のトイレ
改札。ICカードで当駅入場の際は残額が462円以上必要
空の青さと雲を幾何学的に表現したステンドグラス「雲上晴朗(うんじょうせいろう)」
雲上晴朗、反対側
自動券売機、2台だけしかないが後2台増やせそう
運賃表。印旛日本医大駅は隣なのに470円という高さ
駅周辺は成田ニュータウンの北部。全体的に閑散としている。駅前からJR成田駅、京成線「公津の杜駅」行きのバスが発着
駅前の公衆トイレ
駅のすぐ横を成田線が走っている。「下総松崎」〜「成田」間
駅の反対側。開発されておらず森が広がっている
階段
駅の看板
成田湯川駅の文字
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(印旛日本医大のページ「幻の成田新幹線〜計画〜」の続きです)
かつて計画されていた成田新幹線は東京と成田空港(新東京国際空港)間を最高時速250kmで走行することで両駅を最速30分で結ぶ。
1974年に着工したのはいいのだが、経由地となる東京都江戸川区や現在の千葉県浦安市の住民が騒音に加え鉄道駅が設置されないことから猛反発した。同じく市川市や船橋市などの議会でも反対という意見が出た。これにより用地買収が難航してしまう。
さらに成田新幹線が新東京国際空港の象徴として空港建設反対派(1974年に空港はまだ開港していない)からの反対が強く計画はますます停滞した。
そして1982年、空港は開港したが東京都心と新東京国際空港が鉄道で結ばれていない不便な状態が続く。
計画が停滞し、このままではアクセス問題が解結されない。そこで新東京国際空港アクセス関連高速鉄道調査委員会が当時の運輸省に以下の3案を答申した。
A案
成田新幹線の再整備
B案
上野-高砂-新鎌ヶ谷-小室-印旛松虫-成田空港
(北総線を延伸し成田スカイアクセス線として開業)
C案
東京-錦糸町-千葉-佐倉-成田-成田空港
(総武線と成田線)
この中で先行されたのはC案で、成田新幹線のために確保されていた設備と用地をJRと京成で分け合うことで成立。1991年にJR成田線空港支線と京成本線になった。JRは新たに成田エクスプレスを運行開始し東京駅と成田空港駅が約59分で結ばれる。
B案は成田スカイアクセス線として2010年7月に開業。160kmの高速運転が可能なスカイライナーも導入され、これにより「日暮里」〜「空港第2ビル」間が最速36分で結ばれる。
成田新幹線は実現しなかったが代わりの路線として開業し、結果的に東京都心から成田空港への利便性が向上したのだった。
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