田浦駅
Column
東京湾の出入口に位置する横須賀市、その地勢で江戸時代から国防の拠点とされ軍港都市として栄えた経歴を持つ。現在も海軍や海上自衛隊の基地が多くあり、昔からの軍港都市としての顔を保ちつづけている。
そしてその性質から使われなくなった軍事施設などが随所に残されている。それは鉄道にも同じことが言え、物資を輸送する目的で敷設した線路が廃線となり、現在も廃線跡が残る場所が横須賀市には存在するのだ。
JR横須賀線の田浦駅周辺は海上自衛隊の関連施設が複数立地し、旧海軍時代に建設された古い建築物が多く残っている。横須賀線は1889年に日本軍が軍事目的で敷設したという背景があり、横須賀線の田浦駅からは相模運輸倉庫が保有する専用線が港に向かって延びているというのだ。距離は約4kmで、専用線を用いて倉庫からジェット燃料や飼料などを輸送していたらしい。
専用線は1978年に使用が停止され、廃線となった後は線路が全て撤去された・・・と思うだろうが、調べた結果専用線の一部が現存しているという。
戦前のものが撤去されることなく現在も残っている、なんだかワクワクする話ではないか。しかもこの線路、全国的に見ても珍しい、線路が十字に平面交差する「ダイヤモンドクロッシング」がある。
普通線路が十字に交わる時は高架や地下になるはずだが・・・平面で交差とは今では考えられない構成だ。
というわけで、実際に田浦駅に行って周辺探索をしてみることにする。
田浦駅構内
まずは田浦駅構内から探っていく。ホームから横須賀方面を見ると3つのトンネルがあるが、現在旅客に使われているのは画像の右と真ん中にある2つのトンネルであり、一番左のトンネルは使われていない。このトンネルは「七釜トンネル」という名称がある。
使われなくなったトンネルを埋めても埋めなくても影響はない、ということでそのままなのだろう。つまりこのトンネルを介して田浦駅から専用線が港方向(田浦駅北口側)に向かっていることがわかる。
トンネルに続く線路は草に覆われているもののしっかり確認できる。画像から見て手前が横須賀線の旅客線、その奥が専用線だ。
ホームから東逗子方面を眺める。旅客線へ繋がっていた専用線は途中で途切れている。横須賀線の下り線(逗子方面)から専用線に入線していたようだ。
田浦駅北口・海上保安部周辺
次は田浦駅から延びる専用線の跡地を探しに、北口へ向かう。
田浦駅北口から約1km、横須賀海上保安部の前に廃線跡を発見した。
こんなにもはっきりと残っている。軌道だけでなく枕木も一部残されていた。
画像から見て手前の線路が田浦駅へ、奥の分岐する線路がそれぞれ港に続いているようだ。
分岐点右側はさっそく途切れる。盛土を輸送していたのだろうか?
分岐点左側は先に続いている。一度土に埋もれる。
枕木も一部確認できる箇所がある。
この先は海上自衛隊関係の施設が立地していて、一般人は立ち入りできそうにない雰囲気が漂っている。線路は先に続いていそうだがここで引き返すことにする。
比与宇トンネル周辺
次は海上保安部前の分岐点から東にある比与宇(ひよう)トンネル方面に向かう。
残された軌道に沿って歩く。
一度川と砂利で線路が途切れるが心配ない、この先にも続いている。
再び線路を発見。どこまで続いているのだろうか。
相模運輸倉庫付近。なんか線路が交差してない?もっと近くで見てみよう。
本当に線路が平面交差している・・・・・。これはダイヤモンドクロッシングと呼ばれ、線路の交差部分がひし形となりダイヤモンドのように見えることからその名が付いています。この構造は全国的に見ても珍しいものとされており、数か所しか存在しないといいます。利便性などの問題から数を減らし、新たに設置される見込みもないようです。
しかもここのダイヤモンドクロッシングは同地点に2つもある。超レア!!
ダイヤモンドクロッシングから比与宇トンネル方面を眺める。線路はトンネル手前付近で途切れているが、かつてはトンネル内に線路が敷かれていたようだ。
海上自衛隊 横須賀弾薬整備補給所方面を眺める。線路と枕木がはっきりと確認できどこまで続いているのか辿ってみたくなるが、この先は一般人が立ち入れそうにない。
ダイヤモンドクロッシング付近に立つ工事の看板。道路整備工事を行うということは・・・・・もしや撤去するつもりなのか?
ご安心を。横須賀市曰く、このダイヤモンドクロッシングは保存するらしい。残すべき歴史遺産と判断してくれたのだろうか。
金属加工会社の曙機械方面を眺める。手前に線路があるがどこから来ているのだろう。
曙機械から比与宇トンネル方面を眺める。線路は道路の手前で途絶えてしまっている。
さらに反対側を見る。草ぼうぼうで進めないが線路は間違いなく先に続いている。Googlemapを見て調べた結果、場所的にこの先は田浦駅に繋がっている。
さらにくまなく歩き回ったがこれ以上の廃線跡は見つからなかった。廃線跡とはいえほとんどの区間が撤去されることなく現存していることが今回の調査で分かり、当時の面影を色濃く残していたのだった。
横須賀線の末端区間にあたる「逗子」〜「久里浜」間は利用客に段差が生じ、運行本数も日中毎時3本とほのかにローカル色が漂う区間となっている。
ホームの有効長も11両までなので、逗子駅から久里浜方面に向かう15両編成の列車は逗子駅で4両切り離す。逆に逗子駅から東京方面に向かう列車は11両に4両を増結して15両編成にするという運行形態をとっている。
しかし横須賀線には11両のホーム有効長に満たない駅がひとつある。それが田浦駅である。
ホームの前後を山で囲まれた当駅は、11両編成の列車が山に掘られたトンネル内に差し掛かってしまう。この時11両編成の列車はどのような措置をとるだろうか。
答えは一番前の車両と2両目一番前のドアを開けない、である。この措置を界隈ではドアカットと呼ぶ。
4両編成の車両では行われない。11両編成が田浦駅に到着時ドアカットの案内が行われ、降車客を先頭部から後ろの車両へ移動するように促す。また先頭部の車両のドアには「田浦駅ではこのドアは開きません」というステッカーが貼られており注意を呼び掛けている。
また横須賀線の車両にはこのドアカットに対応するためだけに専用のドア開閉スイッチが搭載されている。通称「田浦スイッチ」と言われているようだ。
わざわざ専用のスイッチを設けるぐらいなら支障となっているホーム前後の山を削ればいいのでは?本当はそうしたいのだろうが、横須賀線の中で利用客がワーストクラスの田浦駅でそのような大規模な工事を行っても費用に見合った効果が得られないからだろう。そんなにお金をかけるぐらいなら専用のスイッチを設けた方が安上がりと判断したのかもしれない。
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