東戸塚
ひがしとつか
Higashi-Totsuka
東海道貨物線の合流・分岐地点
神奈川県横浜市
JR東日本(2021年)約45,900人
横須賀線
下り
大船・鎌倉・
久里浜方面
上り
横浜・品川・
東京・千葉方面
普通
湘南新宿ライン
南行
藤沢・小田原・
逗子方面
北行
渋谷・新宿・
大宮方面
快速(宇都宮線)
普通(宇都宮線)
東海道本線上に位置するが「鶴見」〜「大船」間の本線に沿った横須賀線用線路上にホームがあり、ここを走る横須賀線と湘南新宿ラインが停車する。当駅は横浜市内の駅にしては陸の孤島とも言える立地で、横須賀線が止まると他路線の駅に逃げづらい。特に湘南新宿ラインは多くの路線を走るため、巻き添えをくらって遅延しやすい。
1面2線ホーム。湘南新宿ラインは宇都宮線直通系統のみ停車し、高崎線直通系統は当駅を通過する。
小田原駅から延びる東海道貨物線は当駅まで東海道線の本線と並走し、当駅以東から北にルートを変え貨物駅の横浜羽沢駅を経由、鶴見駅で再び本線と合流する。なお貨物線は定期列車として一部の特急湘南が使用する。横浜羽沢駅はJR・相鉄の羽沢横浜国大駅と隣接しており線路が繋がっている。
地域住民からの要望を受け1980年に開業した請願駅。駅周辺は栄えているもののまだ未開発の田園風景が残されているとか。
横浜市営地下鉄グリーンラインの中山駅から相鉄線二俣川駅を経由し、当駅に延伸するという計画がある。
路線
東海道本線
東京起点
36.7km
東海道貨物線
鶴見起点
16km
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 1面2線
開業日 1980年(昭和55年)10月1日
運営形態 業務委託駅
※2021年12月現在の配線図です。
設置場所 | 改札窓口 |
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品濃一里塚、横浜市こども植物園。品濃一里塚は東戸塚駅から徒歩約15分の品濃一里塚公園にある。一里塚とは街道で一里(4km)ごとに道の両側に土を盛り、松などの樹木を植え距離を示す目印とした塚。道の両側に塚が残り、保存状態が良い事から県指定の史跡に認定されている。横浜市こども植物園は横浜市の花であるバラを150種栽培するバラ園をはじめ、くだもの園、野草園がある。東戸塚駅からはやや遠いのでバスに乗る。
駅名標
縦型駅名標
ホーム
待合室
グリーン車乗車位置
比較的すいています戸塚方でお待ちください。
改札
東口は商業施設「オーロラシティ」と高層マンションが連絡通路で結ばれる
東口ロータリー
西口駅舎
西口。階段を上るとロータリー
西口ロータリー。マンションや商業施設が多い
駅の看板
品濃一里塚公園
しなのいちりづかこうえん
東戸塚駅から約850m
かつて旅人の目印として設置された土盛りの塚「一里塚」が現存する公園。一里塚は旧東海道だと日本橋を起点に約4kmごとに設置され、ここ品濃一里塚公園には日本橋から数えて9番目の塚「品濃塚」が残されている。
品濃一里塚
神奈川県指定史跡 品濃一里塚
横浜市児童遊園地・
横浜市こども植物園
よこはましじどうゆうえんち・
よこはましこどもしょくぶつえん
東戸塚駅から約2km
広大な自然公園の児童遊園地と、横浜市にゆかりのある植物が植えられた植物園で構成される。児童遊園地はレジャーランドの「遊園地」ではなく緑に囲まれた豊かな公園で、全体的に起伏のある地形が特徴的。こども植物園はこどもたちに植物や自然に親しんでもらう事を目的に開園した施設。入園は無料。
児童遊園地は広いだけでなく起伏があるため歩いているだけでもかなりの運動量
児童遊園地のコキア
こども植物園のくだもの園
柿が実っている
たくさん実っている
ぶどう
キウイ
ウンシュウミカン
ハッサク。まだ青い
ニュートンのリンゴの木の子孫。万有引力を発見するきっかけとなったと言われるリンゴの木の子孫で、小石川植物園から頂いたもの
木原均(きはらひとし)の記念碑。遺伝学者で世界で初めてゲノムの概念を定義し、ゲノム分析によって栽培コムギの祖先種を明らかにした。ここ植物園には彼の研究所があった
竹園
エジソンのマダケ。発明王エジソンが電球のフィラメントに使った京都府八幡市男山のマダケの子孫。エジソンはフィラメントの材料として約6000種類もの繊維を使って実験した
ヨコハマダケ。横浜市西区で発見された新種。タケという名前がついているがタケではなくササの仲間
シダ園
温室
熱帯・亜熱帯の植物
乾燥地の植物
展示研修館
2022年10月8日〜30日まで展示研修館では柿展が行われていた
柿材は固く割れやすいため加工が難しい。古木の中心が黒みをおびたものは古来より美しいとされ、「黒柿」と呼ばれて珍重されてきた
黒柿の加工品
乾燥し保存された耳柿。へたの部分に耳のようなものがついた小ぶりで珍しい渋柿。岐阜県郡上市(ぐじょうし)の山奥に原木がある
渋柿の果汁を発酵させた「柿渋」。防虫・防腐・防水の効果があり木や布、紙などの素材の塗料として利用される。化学塗料が普及するまでは生活に欠かせないものだった
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JRがまだ国鉄だった時。「東京」〜「大船」間の東海道線(上野東京ライン)と横須賀線は同じ線路を走っていた。
高度経済成長期を迎えると次第に通勤ラッシュが深刻化し、混雑緩和のために増発を繰り返した結果輸送力が限界に達してしまう。その混雑率は1965年当時の横須賀線は264%、東海道線は171%と、横須賀線においては現在首都圏で最も混雑がひどい東京メトロ東西線の199%(2021年6月現在)も真っ青になる数値である。
そこで国鉄は対策として、東海道線と線路を共用していた横須賀線をある程度平行している品鶴線(ひんかくせん)に走らせることで線路を分け、増発を試みる。
1929年に開業した品鶴線は「品川」〜「鶴見」間を結ぶ東海道線の支線である。貨物線として建設された路線だが1980年10月からSM分離の計画として旅客化し、横須賀線の走行を開始した。
SM分離とは上記で説明した通り東海道線と横須賀線の走行線路を分ける計画である。Sとは横須賀線、Mとは湘南電車(熱海以東の普通列車)の列車番号のこと指している。この計画は1960年代半ばから開始されたものである。
品鶴線は元々が貨物線なため旅客用の駅が20km程なく、途中に新川崎駅を設置した。(横須賀線武蔵小杉駅は2010年3月に開業)
1976年、保土ヶ谷駅は横須賀線のみ停車するホームで東海道線は通過となっていたが、ホームを鶴見駅から保土ヶ谷駅まで本線に沿った貨物線に移設した。また「保土ヶ谷」〜「戸塚」間に東戸塚駅を設置した。
同じく1976年、戸塚駅では1928年に平塚駅まで開業していた貨物線上に横須賀線・横須賀線上りホームを設置、旧東海道線上下線ホームは横須賀線・東海道線下りホームになった。戸塚駅ではさらに方向別複々線を採用し、横須賀線と東海道線の対面乗り換えを可能にした。
さらに「東戸塚」〜「大船」間に貨物線を新設して東海道線・横須賀線・貨物線の三複線にし、貨物列車を迂回させるようにした。東戸塚駅から先は市街化が進み用地買収が難航し線増が困難なため、北にある貨物駅の横浜羽沢駅を経由し、鶴見駅に至るルートになっている。
大船駅では貨物線に東海道線上りホームを設置し、旧東海道線上りホームは東海道線下りホームになった。従来の東海道線は横須賀線上りホームと下りホームから発車していたが、東海道線下り線の移設により横須賀線のみの発着となった。
そして「品川」〜「錦糸町」間は地下トンネルを掘って総武快速線と直通運転を行うようにした。
SM分離の準備を進めている間も両路線はますます混雑が悪化し、1975年時点の混雑率は東海道線が267%、横須賀線に至っては1979年に311%を記録した。
1980年、大がかりな計画を経て東海道線と横須賀線は別々の線路を走るようになり、線路容量に余裕ができた。両線共に増発が可能になり混雑が緩和され・・・なかった。
その原因としてまずひとつ。横須賀線のルートである品鶴線は東海道線のように真っ直ぐではなく、東海道線より所有時間が長くなること。「品川」〜「横浜」は横須賀線のほうが2.9km長く、所有時間も5分ほど長い。
もうひとつ、地下トンネル内にホームがある新橋駅と東京駅が地下深いため乗り換えに時間がかかること。新橋駅は地下5階、深さ地下27m。東京駅も地下5階、深さ地下27.5mとなっている。横須賀線ホームから地上に出るまで3分ぐらいはかかるだろう。
これらが要因となって横須賀線は時間がかかるというイメージを持たれてしまい、戸塚駅で東海道線に乗り換える利用客が増えてしまった。SM分離開始時、1980年の混雑率は東海道線が256%、横須賀線が214%と東海道線のほうが混雑している。
これに対し横須賀線は1999年12月、従来の列車をE217系に置き換え最高運転速度を100kmから120kmに引き上げスピードアップを図る。この取り組みにより東海道線との時間差は縮まったが後に西大井駅や武蔵小杉駅が開業したため所有時間は再び長くなってしまった。しかし現在は両路線共に混雑率の差は少なくなっているようだ。2019年度の東海道線は193%、横須賀線は195%となっている。
こうしてSM分離を行ったおかげで異常な混雑はある程度改善したのだった。それでも両路線共に首都圏トップクラスに混雑する路線としては変わっていない。
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