上野駅・京成上野駅

Spot

(上野公園の博物館・美術館)

東京国立博物館

とうきょうこくりつはくぶつかん

上野駅から約500m

京成上野駅から約800m


1872年に創設された日本最古の博物館、通称「トーハク」。本館・平成館・東洋館・法隆寺宝物館・黒田記念館・表慶館の6つの建物で構成され、150年にわたり受け継いできた収蔵品は約12万件を超える。総合文化展の展示室はほぼ毎週一部を年間300回変えている。

左はトーハクくん、右がユリノキちゃん。トーハクくんの本名は「東博(あずまひろし)」、ユリノキちゃんは「ノキ ユリ」

本館前にあるユリノキは明治14年に植えられ、5月中旬にチューリップのような花を咲かせる

日本の鎧は武士の身を守るだけでなく、自分の活躍をアピールするために美しく作られる

千手観音菩薩像(せんじゅかんのんぼさつぞう)。本来は1000本の手を持っているが、作られる際には40本ほどに省略されている

吉野山蒔絵小箪笥(よしのやままきえこだんす)。流水と桜の文様が描かれ、引き出しの把手にも桜の意匠が施される

小判は通貨として、大判は通貨とは異なり贈答儀礼用として用いられていた。登場は大判の方が先

太刀は騎馬戦で使用し刃を下にして腰帯から紐で吊り下げ着用、刀は徒歩集団戦で使用し刃を上にして腰帯に差し込んで着用するといった違いがある

染付山水文大鉢(そめつけさんすいもんおおばち)。約45cmの大鉢に岩山、山にかかる雲、帆掛け船の列が描かれる

文化財の保存についての展示。文化財には虫食いやカビが発生したりするので、生息状況や温湿度環境を調べて適切な湿度に調整したりする

一の谷馬藺兜(いちのたにばりんのかぶと)。あやめの一種である馬藺(ばりん)の葉をかたどった檜(ひのき)製の薄板が放射状に広がり、印象的

鶴亀蒔絵鞍鐙(つるかめまきえくらあぶみ)。鞍は戦場を駆ける武士の表道具と言えるが、装飾的な要素も強い

虎に波図屏風(とらになみずびょうぶ)。江戸時代後期の絵師「岸駒(がんく)」が描き、虎の絵を得意としていた

蘆蒔絵貝桶(あしまきえかいおけ)の内容品である貝殻。絵が描かれた貝殻を左右別々にして置き、もとの一組を引き当てる遊び。元の組み合わせ以外は合わないことから夫婦円満の象徴である

夜着 紺輪子地鳳凰唐草模様(よぎ こんりんずじほうおうからくさもよう)。夜着とは江戸時代の掛け布団のことで、鳳凰模様は吉祥文様の一種で縁起が良いとされる

珍しい猿の埴輪。元々は子猿を背負った親猿で、親猿は子猿の様子をうかがうために顔をやや横に向けている

本館2階にある貴賓室(きひんしつ)。便殿(びんでん)とも呼ばれ、中国では貴人が休息するための仮の御殿を意味する。現在は国の大事な来客の休憩室として使用されている

日本の考古と特別展を開催する平成館。1999年会館

埴輪 正装女子。女子像を表した人物埴輪としては貴重な全身像

突線鈕5式銅鐸(とっせんちゅうごしきどうたく)。高さ134.7cm、重さ45.47kgと現存する日本最大の銅鐸

古墳の上に建てられた埴輪は、複数の種類を並べることで亡くなった被葬者にまつわる様々な場面を表す

銀象嵌銘太刀(ぎんぞうがんめいたち)。朝鮮や日本では中国・後漢で成立した銘文様式を踏襲しながら各地域の言語表現を取り入れ、新しい銘文様式を生み出す

銀象嵌銘太刀を近くで見る。5世紀の世界観や社会の様子が表現されているという

はじまりの瓦。当時の瓦は寺院などごく限られた建物だけだった

1909年に開館した表慶館(ひょうけいかん)。皇太子のご成婚を記念して計画された建物で重要文化財。中は特別展

黒田家の江戸屋敷鬼瓦。徳川幕府の参勤交代の制度により、江戸には諸大名の屋敷が設けられた。筑前福岡藩主黒田家の建物の棟飾りとして用いられた鬼瓦である

旧因州池田屋敷表門(きゅういんしゅういけだやしきおもてもん)。因州池田江戸屋敷の表門で、形式と手法から見て大名屋敷表門として最も格式が高い

法隆寺宝物館、東京国立博物館の所有する法隆寺献納宝物を保存・展示するために1964年に開館。1999年に高い保存機能を備えた新宝物館になった

300件余りの法隆寺献納宝物が収蔵されている

本館の後ろにある庭園。5棟の茶室が点在し、春になるとソメイヨシノやオオシマザクラなど10種類のも桜が開花する

九条館(くじょうかん)。京都御所内の九条邸にあったものを東京赤坂の九条邸に移した建築で、当主の居室として使われていた。1934年に寄贈され現在の位置に移築される

応挙館(おうきょかん)。名古屋市郊外の明眼院の書院として1742年に建築、一度東京品川の益田孝(ますだたかし)邸内に移築され、1933年に当館に寄贈され移築される

六窓庵(ろくそうあん)。奈良の興福寺慈眼院(こうふくじじげんいん)に建てられ、現在の奈良国立博物館にある八窓庵などと共に大和の三大茶室と呼ばれた。1875年に当館が購入して移築した

転合庵(てんごうあん)。小堀遠州が八条宮から茶入を賜った際に、披露するために京都伏見に建てられた。1963年に当館に寄贈される

春草廬(しゅんそうろ)。河村瑞賢(かわむらずいけん)が摂津淀川改修工事の際に建てた休憩所。1959年に当館に寄贈された

1968年に開館した東洋館。中国や朝鮮半島などの美術品を展示する

観音菩薩立像(かんのんぼさつりゅうぞう)。台座に刻まれた銘文によると、開皇5年に三尊像の1躯として造られた

仏説法図(ぶつせっぽうず)。中央に如来像、周囲に梵天(ぼんてん)、帝釈天(たいしゃくてん)、菩薩半跏像(ぼさつはんかぞう)、供養者像が配され、舎衛城の神変を表すものだとされている

三彩金襴手龍濤文水注(さんさいきんらんでりゅうとうもんすいちゅう)。翡翠(ひすい)、紫、黄色の釉薬(ゆうやく)を掛け分けた華やかな作品で、日本で懐石道具として好まれた

簪(かんざし)・粧刀(しょうとう)・眼鏡入。朝鮮半島のもので長生文(ちょうせいもん)の装飾が施される。粧刀は装身具用の小刀で箸が付属する

古代朝鮮の冠。草の葉のような立飾が特徴的で、金の王冠は古代朝鮮において王の証だった

ミュージアムショップで販売されるものは、日本全国の美術館や博物館で販売されるオリジナルグッズの先駆け的存在とも言われる

国立科学博物館

こくりつかがくはくぶつかん

上野駅から約450m

京成上野駅から約700m


上野恩賜公園内に立地。自然史、自然に関する化学技術の研究および調査、資料の収集を行う。施設は計3か所に分散しており東京都台東区の上野本館、港区の附属自然教育園、茨城県つくば市のつくば植物園があり、上野は本館と地球館の2棟の建物で構成されている。

シロナガスクジラのモニュメント

知恵ふくろうとも呼ばれる大型鋳造地球儀。大型の美術品などをつくる際に使われる「フルモールド鋳造」技術で作成された

49.6kgのステンレス玉を19.5mのステンレス線で吊り下げた「フーゴーの振り子」。地球の自転現象を示す演示実験

本館内は装飾が美しい

トロートン天体望遠鏡。イギリスから輸入・導入した当時の内務省地理局の新たな観測用望遠鏡

日本最古の地球儀「紙張子製地球儀」。マテオ・リッチの世界地図に基づき1695年に制作された紙張子製の地球儀

時計とは時間を図り時刻を知らせるのが主な役割だが、装飾品としても多様化している

ニホンオオカミの剥製。日本の生態系の頂点に君臨していたが、人為的な駆除や開発による餌資源の減少などにより絶滅した

日本には721種のシダ植物が分布するが、3分の1が絶滅の危機に瀕している

イリオモテヤマネコの剥製。南西諸島は特異な固有種相を有していることから、日本列島の中でも最も古く大陸から分離したと考えられている

忠犬ハチ公の剥製。飼い主の上野博士が急死した後、博士がよく利用していた渋谷駅に毎日通い、帰ってくることのない博士の帰りを待ち続けた

日本のイネはかつて多くの品種があったが、現在は消費者に人気がある特定の銘柄だけが作付け面積を拡大している

最も完全な旧石器人の化石。日本に祖先が現れたのは約4万年前と推定され、縄文時代が始まるまでの約2万5000年間を旧石器時代と呼ぶ

日本列島の海域は動物地理的に見て南から亜熱帯海域、温帯海域、亜寒帯海域に大きく分けられ、各海域に特有な生物が生息する

火山弾は火口から勢いよく飛び出したマグマが空中を飛んでいる間に冷え固まったもの。空中を飛ぶ速さやマグマの粘性などの様々な条件により多種多様な形になる

1914年に九州の屋久島から切り出された屋久杉。最大直径は2.4m、樹齢は推定1600年。この屋久杉が芽生えたのは日本でいうと古墳時代

日本の鉱物。鉱物は経済的な価値はもちろん、地球が誕生してから現在まで元素がどのように挙動してきたのかを知る材料としての役割を持つ

フタバスズキリュウ復元骨格。1968年に福島県いわき市で当時高校生だった「鈴木直(すずきただし)」に発見され、長年をかけ全長約7mに復元された

北海道の中央部には白亜紀の地層が分布しアンモナイトが多く見つかる。これまで500種以上が確認されている

アロサウルスの骨格。1964年に当館で公開された日本初の恐竜骨格で、頭以外の大部分は実物の化石

上野動物園で飼育されていたホアンホアンの剥製。計3頭の子どもを産み育てたお母さんパンダ

宇宙実験・観測フリーフライヤ。天文観測装置や科学・工学実験のための機器類が搭載された

しんかい6500。人を乗せて水深6500mまで潜ることができる潜水調査船。現在も世界各地の海底の地形や地質、深海生物の調査を行っている

しんかい6500の母船「よこすか」。重さ約26トンのしんかい6500を釣り上げるクレーン、整備を行う広い格納庫を備える

小惑星探査機「はやぶさ」。幾多の困難を乗り越え小惑星「イトカワ」にたどり着き、採集したサンプルを地球に持ち帰った

日本初の人工衛星「おおすみ」。1970年2月11日に打ち上げられた

日本初のロケット「ペンシルロケット」、全長23cmしかない。1955年に発射実験に成功し、それ以降日本の宇宙開発が始まっていった

伊能忠敬使用の中型象限機。星の高度を図る測量器具で、伊能忠敬はこれを用いて各地で測量と天体観測を行い精度の高い日本地図を完成させた

地球館3F展示室「大地を駆ける生命」には約400点の剥製が並ぶ

地球館屋上「ハーブガーデン」

しゃがんだティラノサウルスの骨格。ティラノサウルスはしゃがんでしまうと、短い前足を地面につけないとすみやかに立ち上がれない

トリケラトプスの骨格。手の甲を前ではなく横に向けているのは、角竜類が二足歩行であったことの名残ではないかと考えられている

マンモスの骨を利用した住居。草原の広がる東ヨーロッパ地域は寒い冬に避難できる洞窟や岩陰が少ないため、マンモスの骨を利用した住居跡がウクライナを中心に発見されている

チンパンジーの骨格。チンパンジーは人間にもっとも近い種だと言われている

20cm屈折赤道儀。国立科学博物館ができてから2005年までの間、本館屋上の天文ドームで天体観望公開に用いられていた

南丹隕石。隕石の大半は小惑星からやってくるかけらで、この隕石はアジア地域最大級のもの

ミュージアムショップ

博物館の裏側にあるラムダロケット用ランチャー。日本初の人工衛星「おおすみ」の打ち上げに使用され一連の実験の後、当館に移管・展示を行った

東京都美術館

とうきょうとびじゅつかん

上野駅から約550m

京成上野駅から約700m


略称は「都美」。1926年に「都民のための美術の振興を図る」目的で開館した日本初の公立美術館。「アートへの入口」を基本方針に様々な展覧会が開かれる。秋に展覧会が多く開かれた経歴から「芸術の秋」の由来になったとも言われている。

展覧会により無料か有料かは異なる。有料だと料金も異なる

800個のレモン石鹸。自由に持ち帰ることができ、持ち帰った跡は誰かがいた痕跡を伝えてくれる

時代の肖像 -無明・滅亡の目次録

紙コップのインスタレーション

全視の目

夜の上野駅周辺の様子を監視している?

無題。作品タイトルが「無題」

一歩前へ

上野の森美術館

うえののもりびじゅつかん

上野駅から約300m

京成上野駅から約300m


1972年開館。常設展を持たない企画展と特別展専用の美術館で、上野公園内にある美術館・博物館の中で唯一の私立美術館。展示内容によって無料か有料、写真撮影可能か禁止かは変わる。

第40回 上野の森美術館大賞展

壁を育てる

水田/象潟町(きさかたまち)横岡

明日の忘れ物を探す日

砂漠の幻想

吸い殻

下町風俗資料館

したまちふうぞくしりょうかん

上野駅から約300m

京成上野駅から約200m


上野周辺など下町と呼ばれる地域には明治〜大正頃まで江戸の名残があったが1923年に発生した関東大震災、震災による復興、東京オリンピック開催による契機で再開発が進行し古い時代のものはほとんどなくなってしまった。この資料館は失われつつある下町文化の記憶を次の世代に伝える目的で開館した。

左は呉服店で使用され注文された反物や帯などを運ぶ「箱車」。右は日本で初めて設置された自働電話

人力車。最盛期には国内に20万台以上が走っていたが、路面電車やバスやタクシーが普及すると次第に姿を消していった

大正時代の東京下町の街並みを再現

駄菓子屋

商家

箱階段。商家に多く見られる、側面に引き出しや戸棚をつけた階段

明治20年代の上野駅。上野駅は明治16年に仮駅舎として開業し、「上野」〜「熊谷」間の運行を開始した

上野駅開業100周年記念乗車券と入場券

昭和30年代の下町の暮らし。ちゃぶ台や茶だんすの中に白黒テレビといった新しい電化製品がある

上野大仏は1655〜1660に造立されたが、関東大震災で頭部が落ちて胴体は戦中の金属回収令により供出される。そのため現在の上野大仏は顔しかない

昭和の医薬品

昭和初期のマスク。1918年にスペイン風邪と呼ばれたインフルエンザをきっかけに日本でマスクが広まった。陸軍が外出時に黒いマスクだったため警視庁もこれに倣い、黒いマスクが一般的になったと言われている

国立西洋美術館

こくりつせいようびじゅつかん

上野駅から約100m

京成上野駅から約500m


西洋の美術品を専門に公開する美術館。1959年にフランス政府から日本へ寄贈返還された「松方コレクション」を保存・公開する目的で開館した。本館の設計は世界的に有名な建築家「ル・コルビュジエ」の手によるもので日本唯一のものであり、世界文化遺産に登録されている。

考える人

弓をひくヘラクレス

地獄の門

三連祭壇画:キリスト磔刑。中央パネルと開閉可能な左右の翼部で構成される作品を「三連祭壇画(トリプティック)」と言う

悲しみの聖母。鮮やかで深みのある色彩と緻密な描写を特徴とし、冷ややかながらも甘美な愁いを帯びている

静物。ビンやコップなどの日常生活のモチーフが描かれた静物画

旧東京音楽学校奏楽堂

きゅうとうきょうおんがくがっこう

そうがくどう

上野駅から約600m

京成上野駅から約900m


東京芸術大学音楽学部の前身である東京音楽学校の演奏会場。1890年建設。老朽化に伴い上野公園内に移築・復元され現在は定期的にコンサートが行われる会場として活用されている。日本最古の洋式音楽ホールとして国の重要文化財に指定されており、ホール内には日本最古のコンサート用パイプオルガンがある。

当館中央の軒先ペディメントには楽器をあしらった彫刻が施される。中央に火焔太鼓、左にハープ、右に笙(しょう)を配し、和と洋の音楽を取り入れ新しい音楽の創造を目指すという東京音楽学校の理念を表している

ブリュートナーピアノ。ハンマーで打って発音する三本の基本弦の他に四本目の共鳴弦が張られている「アリコットシステム」が採用されている。四本目の弦の共鳴作用により、中音から深みのあるあでやかな音色と豊かな響きがある

2階の音楽ホール「奏楽堂」の漆喰壁の中には藁束(わらたば)がぎっしり詰まっている。防音や音響上の効果を狙って詰めたものだと考えられている

車寄せ及び正面玄関の柱を支えた定期柱の脚部。これは明治34年頃の修復時に補修材として使用された

奏楽堂。木曜日に東京藝術大学の学生によるコンサート、日曜日にチェンバロやパイプオルガンのコンサートが行われている。客席は338席

東京藝術大学大学美術館

とうきょうげいじゅつだいがく

だいがくびじゅつかん

上野駅から約700m

京成上野駅から約1km


東京藝術大学美術学部構内にある美術館。東京藝術大学の前身である東京美術学校が学生の参考資料として、開校前から美術品を収集していたことから多くのコレクションを持ち公開を行っている。また美術学校であることから歴代教官や卒業生の作品も収蔵展示している。

「せんとくん」の兄にあたる「鹿坊(ろくぼう)」

帝釈天

吉祥天立像(きちじょうてんりゅうぞう)

鳳凰図屏風

猛虎一声(もうこいっせい)

彩色手箱

蔚林(うつりん)

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