天王台
てんのうだい
Tennodai
各駅停車は平日朝夕しか来ない
千葉県我孫子市
JR東日本(2021年)約14,700人
常磐線快速
上り
日暮里・上野・
東京・品川方面
下り
取手・土浦・
水戸方面
快速
常磐線各駅停車
上り
柏・新松戸・
代々木上原方面
下り
取手方面
快速線は1つ手前の我孫子駅で成田線直通があり、当駅は特別快速通過駅なため10〜11時台に上下線共1時間4本しか電車が来ない時間帯がある。このため快速線区間で停車本数が最も少ない。3・4番線の各駅停車ホームは日中及び土休日は全て我孫子止まりとなるため電車が来ない時間帯は封鎖される。
常磐線各駅停車は2021年からホームドアの設置を開始したが平日の通勤時間帯にしか電車が来ない天王台駅と取手駅にも設置が決まった。不要に思えるが逆に考えるとJRは「我孫子」〜「取手」間の各駅停車を廃止するつもりはないということだろう。
我孫子市に位置する駅。から揚げそばで有名な「弥生軒」がホーム上にあるが平日の限られた時間しか営業していない。
路線
常磐線
日暮里起点
34km
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面4線
開業日 1971年(昭和46年)4月20日
運営形態 業務委託駅
設置場所 | 改札外 |
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備考 | 2020年7月8日の駅のスタンプリニューアルに伴い廃止 |
あやめと手賀沼。手賀沼には湖畔に様々な施設や公園などがあり場所によって最寄り駅は異なる。あやめは天王台駅から徒歩約25分の我孫子市水生植物園を指していると思われる。7800平方メートルの園内に150種1万5000株の花菖蒲が咲く花菖蒲の名所。5月上旬は藤の花も美しい。
設置場所 | 改札外 |
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あやめ、古墳。天王台駅から南に約2kmの手賀沼沿いには我孫子古墳群と呼ばれる古墳の密集地帯がある。中でも水神山古墳と呼ばれる古墳は全長約69mの前方後円古墳で、我孫子市内で最大の古墳と考えられている。
常磐線快速駅名標
常磐線各駅停車駅名標
常磐線快速縦型駅名標
常磐線各駅停車縦型駅名標
ホーム。特別快速通過、成田線直通列車がある関係上、他の快速停車駅よりも停車本数が少ない。1時間4本しか止まらない時間もある
各駅停車ホームは2023年12月14日からホームドアの使用を開始した。各駅停車の駅では北柏駅の次、8番目。北柏駅の稼働開始が2022年1月13日なので、11か月も間が空いている。運行形態上平日の朝夕しか使われず、なんかもったいない
快速線ホームやや我孫子寄りにある待合室
から揚げそばで有名な我孫子駅の弥生軒が当駅の快速線ホーム中程にある。こちらは我孫子駅と違って平日の昼頃までしか営業しない
弥生軒営業時。営業時間は2024年現在、平日7:00〜13:30、16:00〜21:00。店内は我孫子駅に比べると狭いがかなり綺麗
から揚げそば。唐揚げ(1ヶ)。我孫子駅のと同じ。値段は2024年現在、490円。2023年10月6日以前は470円。また唐揚げが以前より小さくなったらしいが、この値段でこのボリュームなら文句はない
出口(改札口)は取手方の階段を御利用ください
常磐線各駅停車ホームは運行時間外の時封鎖され、立ち入れない。3番線下りの隣の駅は取手駅で終点なため、表記が「取手行」になっている
平日の時
天王台駅キャラクター「てんてん」。突如現れ、詳しいプロフィールなどは不明
改札。人通りはさほど多くない
南口。1km程歩くと成田線「東我孫子駅」。徒歩約12分という近さであり、利便性は天王台駅の方が比べるまでもなく勝る。南に向かって徒歩約16分地点は手賀沼
北口ロータリー。国道6号線にやや近い。駅周辺は住宅街で目立った場所は少ない
駅の看板
水神山古墳
すいじんやまこふん
天王台駅から約1.5km
東我孫子駅から約1.5km
4世紀終わり頃に築造された全長約69mの前方後円古墳。我孫子市内で最大の古墳と考えられている。手賀沼を見下ろす標高20mほどの台地上に位置している。発掘調査によりガラス製の管玉・小玉や刀子などが発掘されており、千葉県指定史跡に指定されている。
主体部
古墳の前
日立アカデミー我孫子キャンパス
天王台駅から約1km
東我孫子駅から約900m
日立グループの人財育成・研修機関。日立グループが培ってきた人財育成のノウハウを提供する。我孫子キャンパスには研修施設に加え手賀沼の自然や地形を生かした庭園があり、景観や紅葉が美しい。毎年12月中の1日だけ日立アカデミーの厚意で一般公開されている。
2023年度は12月9日(土)の10時〜15時30分の公開
紅葉
湧水池
湧水池のラクウショウの気根。地面から突き出る形で気根があり、ここで呼吸を行っている
観月台。以前ここに東屋があったらしい
観月台からの景色
観月台の紅葉
未発掘の西大久保古墳。かなり古い古墳のようで、今後の解明が待たれている
西大久保古墳付近の紅葉
西大久保古墳付近の紅葉2
「ほととぎす」跡。手賀沼の景観保護に大きな役割を果たした実業家「大谷 登」が母屋として使っていた建物の跡。東日本大震災の影響で痛みが激しく、2015年に解体された
ほととぎすから見る手賀沼
ほととぎすの紅葉
竹林の小径
もみじの小径
もみじの小径2
もみじの小径3
もみじの小径4
もみじの小径5
もみじの小径6
もみじの小径7
もみじの小径8
もみじの小径9
倉田主税(くらたちから)。日立製作所社長1947-1961、日立総合経営研修所創設者
我孫子市のご当地カレー「白樺派のカレー」のレトルトが販売されていた。因みに庭園公開時、白樺派のカレーが200食限定で食堂で提供されたが1時間余りで完売し食べられなかった・・・
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常磐線の「北千住」〜「取手」間は快速用と各駅用(緩行線)の線路がそれぞれ2本ずつ、合計4本の線路がある複々線区間となっている。需要が多い区間ならではの線路だ。
しかしこの複々線の内、緩行線の「我孫子」〜「取手」間は朝と夕方の限られた時間帯にしか運行しない。この運行形態によって我孫子発取手行きの終電が平日19時50分とえらく早い。運行しない時間帯は並走する快速に乗って同区間を移動する必要がある。せっかく線路が複々線なのにこれでは活かしきれていない、もったいない。
なぜこんな運行形態をとっているのか、理由は簡単だ。ただ単に需要が少ないからである。
常磐線は元々線路が2本の複線だった。現在は快速用と各駅用で2本ずつ使用されているが複々線になる前は線路2本で各駅・快速・特急といったすべての種別が走っていた。
高度経済成長期を迎えると沿線のベッドタウン化が進み人口が急増。利用客の増加に伴い常磐線も増発を試みるが、各駅停車が同じ線路を走っていることからさらなる増発が困難になってしまう。そこで当時の国鉄は首都圏の通勤輸送量増加を目指した「通勤五方面作戦」プロジェクトを始動する。
「北千住」〜「松戸」間は東京8号線(後の9号線、東京メトロ千代田線)が計画されており、当時の国鉄はこのルートの終点を取手まで延長する形で常磐線を増線し、新たな路線である緩行線を千代田線と直通運転させる形で常磐線を複々線にすることを決めた。
「北千住」〜「綾瀬」間は国鉄路線だったが、常磐線の複々線化と千代田線の直通に対して建設費用を抑えたい国鉄と、足立区内に設置する車庫(現綾瀬検車区)への回送ルートを確保したい営団(現東京メトロ)の思惑が一致し、「北千住」〜「綾瀬」間を営団のものとして千代田線との直通運転と常磐線の複々線化が同時に行われることになる。
複々線化工事は都心寄りの区間から随時進められ、1982年には「綾瀬」〜「取手」間全ての複々線化工事が終了する。
複々線の完成に伴い当初は暫定で快速を停めていた天王台駅は通過にする予定だったが、快速通過駅の不便な状況が目の辺りになる事態が発生する。快速が通過してしまうとそれまで行けていた上野が一本で行けなくなる、各駅停車だけになると千代田線に乗り入れるため運賃が高くなるということから地元住民や市から反対運動が起き、国鉄に対して引き続き快速を停車させるように要望が出たのだ。
天王台駅は1971年に開業したが快速用のホームがなかったため、国鉄との話し合いで地元の負担があればホームを設置してよいと決まった。このことから天王台駅は引き続き快速が止まるようになったのだ。そのかわり各駅停車は朝夕の時間帯にのみに運行するようにした。これは日中時間帯は快速のみで事足りると判断したためである。
そう、これが「我孫子」〜「取手」間、各駅停車朝夕のみの運行の始まりである。すべては天王台駅の快速通過による発生した反対運動がルーツだったのだ。
しかしせっかく取手駅まで複々線化したのにこれでは…日中運行のない時間帯は試運転に使用されることがあるらしいが、それでも複々線を持て余している感は否めない。
ただでさえ使用頻度が少ないのに2021年3月のダイヤ改正では土休日の「我孫子」〜「取手」間の運行が取り止めになるときた。ますます使われなくなっていくこの区間に未来はあるのだろうか…どうにかうまく有効活用できないものか。
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