我孫子駅

Spot・Gourmet

弥生軒の唐揚げそば

やよいけんのからあげそば

我孫子駅ホームの弥生軒


我孫子駅名物、大きな鳥から揚げが乗っかったボリューム満点のそば(うどん)。鉄道好きの間ではかなり有名。から揚げは単品だけでも食べることができ、テイクアウトもできる。提供する弥生軒は立ち食いそば屋であり、我孫子駅1・2番線ホームに2店舗、4・5番線ホームに1店舗と計3店舗ある。

唐揚げうどん

2個乗せそば

2個乗せうどん

唐揚げそば+ちくわ天

唐揚げうどん+ちくわ天

唐揚げそば+かき揚げ

唐揚げうどん+かき揚げ

唐揚げそば+玉子

唐揚げうどん+玉子

唐揚げそば+わかめ

唐揚げうどん+わかめ

唐揚げそば+あげ玉

唐揚げうどん+あげ玉

唐揚げ単品1個

唐揚げ単品2個

唐揚げそばを提供する弥生軒は1・2番線ホームに2店舗、4・5番線ホームに1店舗ある

手賀沼

てがぬま

我孫子駅南口から約1km


柏市、我孫子市、白井市、印西市にかけて広がる大きな沼。周辺は公園や遊歩道などがあるだけでなく、花火大会やマラソンといったイベントも開催される。かつては周辺の都市化により産業排水が流されていた。その結果沼の水質汚濁が進み、水質は全国でワースト1だった。現在は水質の浄化が進み、多くの水生生物が暮らせるほどの沼となっている。

農産物直売所とレストラン、展示スペースや展望台などを備える手賀沼親水広場・水の館。我孫子駅から約2.5km

柏市と我孫子市を結ぶ「手賀大橋」を水の館から見る

水の館から見る手賀沼

水の館付近にある河童の噴水

つつじ

ポピー

手賀沼公園。我孫子駅から約900m

コブハクチョウ

平和の記念碑。広島市の被爆した旧市庁舎の側壁と敷石を譲り受け、核兵器の廃絶と恒久平和を願い建立したもの

夕暮れ時

手賀沼公園にある我孫子市 生涯学習センター(アビスタ)

アビスタの屋上は緑化された展望台になっている

道の駅しょうなん

みちのえきしょうなん

我孫子駅から約3km


柏市の道の駅。県道8号線及び手賀沼沿いにありレストランと農産物直売所を備えている。2021年12月に新設棟の「てんと」がオープンし、直売所の面積が大幅に拡張された。「しょうなん」という名前は建設された当時、所在地が沼南町であったことに基づくもの。沼南町は2005年に柏市と合併してなくなっている。

農産物直売所

レストラン棟「つばさ」

地元農家と連携したオリジナルのソフトクリームを販売する。こちらはリニューアル前のレストランViaggio(ヴィアッチオ)のブルーベリーソフトクリーム

木村ピーナッツのピーナッツソフトクリーム

ちゃのごカフェのかぶソフトクリーム。かぶの優しい甘み

サーターアンダギー

我孫子市鳥の博物館

あびこしとりのはくぶつかん

我孫子駅から約2.5km


鳥類について展示を行う鳥の博物館でまたの名を「鳥博(とりはく)」。「人と鳥の共存を目指す」をテーマに手賀沼の自然を模したジオラマ、約270点の剥製標本を展示しているのが特徴。水の館の向かい側付近に立地する。

剥製標本の所蔵数は3000点以上、日本の鳥類は633種の内389種

冬の手賀沼には春から夏にかけて繁殖期を北の国で過ごした鳥たちが渡ってくる

秋の手賀沼は夏をここで過ごした鳥たちが南に渡ってしまうため、鳥の影が薄くなる

オオタカ

コジュリン

ウミネコ

ユリカモメ

トキ

コウノトリ

カイツブリ

最も古い鳥類「始祖鳥」。現在から約1億5千年前に生息していたと言われ、化石には虫類と鳥類両方の特徴が見られる。そのため虫類から鳥類への進化の途中の動物と考えられる

インド洋モーリシャス島に生息していた「ドードー」。警戒心がなく飛べないため大量に捕獲され、モーリシャス島に寄港する船の食料となった。1670年頃には姿が見られなくなってしまった

さまざまな羽毛

鳥は空を飛び回るため丈夫で軽い骨が必要。人間の骨の重さは全体の約20%だが鳥の骨の場合は約5%しかない

ミュージアムショップ

白樺派のカレー

しらかばはのカレー

我孫子市名物


大正時代、手賀沼沿いに白樺派の文人達が居を構えていた頃、「柳 兼子」という声楽家が当時では先進的な食文化の象徴だったカレーを作り、小説家の「志賀直哉」や「武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)」達にふるまっていた。このカレーには陶芸家「バーナード・リーチ」の薦めで隠し味の味噌が入っている。

「喫茶ぷらっと」の白樺派のカレー。当店があるアビスタまで我孫子駅南口から約900m

白樺派のカレーレトルト。3個入り

チキン・ビーフ・ポークの3種類。どれも中辛

作ってみた

白樺文学館

しらかばぶんがくかん

我孫子駅から約1km


雑誌「白樺」を中心に展開された大正デモクラシー時代の文系思潮「白樺派」の歴史を紹介する文学館。かつての我孫子は多くの文化人が居を構え、文化人達は美しい手賀沼の自然環境から創作活動のエネルギーを受け多くの作品を創り上げていた。館内の写真撮影はできないようだ。

志賀直哉邸跡

しがなおやていあと

我孫子駅から約1km


白樺派の小説家の一人「志賀直哉」が1915年〜1923年まで暮らしていた場所。ここで白樺派の芸術家たちと交友を通じて創作意欲を高め「和解」「城の崎」「小僧の神様」「暗夜行路」などの作品を生み出す。中には我孫子を題材にした題材もあり、当時の我孫子の背景をしのぶ貴重な資料となっている。

現存しているのは書斎であり、生活の場である母屋は志賀直哉直筆の間取図を元に想定復元されている

母屋の縁側や六畳などの位置が示されている

杉村楚人冠記念館

すぎむらそじんかんきねんかん

我孫子駅から約750m


明治末期から昭和前期に東京朝日新聞で活躍したジャーナリスト「杉村楚人冠」の母屋を利用した記念館。1912年に手賀沼の風光を好み楚人冠は我孫子に別荘を購入するが関東大震災で二子を失い、一家で東京大森から我孫子に移住する。その後は手賀沼の景観保護活動に取り組む、我孫子ゴルフクラブの開設を進言するなど我孫子の発展に力を尽くした。

母屋のサロンには多くの記念品が飾られている

サンルームの床下はコンクリートのタタキになっている。これは落成当時サンルームがサロンから直接外に出られるベランダだったことを示している

母屋完成後すぐに増築された別棟の書斎。2階建てで寝室としても使われていた

楚人冠公園

あじさいと竹林

澤の家。1922年に作られ楚人冠が東京大森に住んでいた頃はこちらが別荘だった。家族で我孫子に移住後は楚人冠の母の住まいになった

旧村川別荘

きゅうむらかわべっそう

我孫子駅から約1.5km


西洋史学者の「村川堅固」が設けた別荘。熊本の旧制第五高等中学校在学中に校長の「嘉納治五郎(かのうじごろう)」と信仰を結び、嘉納が我孫子に別荘を設けていたことに影響され、堅固は1921年に我孫子宿本陣にあった離れを購入した別荘用地に解体移築し母屋とする。堅固が亡くなった後は息子の「村川堅太朗」に受け継がれ、世界的視野を持つ多くの著作を生み出した。

母屋内

母屋から見る竹林

ねずみ漆喰(しっくい)の壁。白い漆喰に墨汁を溶いたもので部屋全体を落ち着いた雰囲気にする

掛け軸

新館。村川堅固は「朝鮮風」と表現する

バーナード・リーチがデザインした三角椅子。どこからもたらされたものかは不明だが、白樺派の人々が我孫子に住んでいたことが分かる一品

村川家に残されていた埴輪。旧村川別荘周辺は14基の古墳があって別荘と駅との往来の途中で拾ってきたものと考えられている

←NEXT→