千葉駅

Column

気まぐれ総武快速線

 

 

県庁所在地の千葉市に位置する「千葉駅」は都心と千葉の各地を結ぶターミナル駅だ。JRだけで6路線が乗り入れ、その行き先は多方面に渡る。

 

千葉駅には1〜10番線まであり、1・2番線が中野方面に向かう中央・総武線。3・4番線が館山方面に向かう内房線。5・6番線が勝浦方面に向かう外房線。7・8番線が八日市場方面に向かう総武本線。9・10番線が成田方面に向かう成田線となっている。これだけの行き先があるため迷う人は少なくないはず。

 

先ほど6路線が乗り入れる、といったが1〜10番線には5路線しか割り当てられていない。残りの1路線、東京方面に向かう総武線快速はどこにあるのか。

 

実は千葉駅には総武線快速の決まったホームがないのである。終日中央・総武線1・2番線を除くのりばからランダムで発車するのだ。これはなぜだろう。

 

これは総武線快速が多方面に直通していること、千葉駅の構造に問題があるからだ。

 

まずは総武線快速の直通先。外房線・内房線・成田線と多い。下りはそれぞれの路線のホームに行くものの、上りの東京方面は直通先の各路線から総武線快速がやってくるためホームが固定されていない。そのため東京方面は乗るたびにホームの場所を確認する必要がある。

 

 

そして千葉駅の構造。千葉駅はY字型に外房線と内房線、総武本線と成田線の2方向に枝分かれしている。外房線と内房線方面が3〜6番線。総武本線と成田線方面が7〜10番線で東京方面の総武線快速に乗り入れる。この影響で東京方面ののりばをひとつに絞ることができないのだ。

 

 

千葉駅を利用する際は案内をよく聞き、発車標をよく見よう…。

 

とある鉄道駅の年間行事

 

千葉駅では自動放送のATOSが導入される前、元旦や節分といった年間行事があると発車標に手の込んだ絵を表記していた。それは遊び心が溢れ、見るだけで四季の移り変わりを楽しめるようなものだった。ここでは季節を彩った発車標を見てみよう。

 

1月 元旦

 

2月 節分

 

3月 ひな祭り

 

5月 子どもの日

 

7月 七夕

 

9月 秋分の日

 

12月 クリスマス

 

いかがだっただろうか、千葉駅のこだわりを感じないだろうか。この企画は1年しか行われなかったが千葉駅さん、またこういうのやりませんか・・・・・。

 

モノレールマスタープラン

 

東京都心から約30km、千葉県の中央に位置する千葉市は高度経済成長期を迎えると急激に人口が増加した。

 

1960年は約25万人、1965年で30万人を超え、1970年には50万人近くまで上り詰める。1975年には約65万人、1980年には約75万人近くまで増加した。20年程で人口が2倍以上になるという増加を見せた。この急速な人口増加は高度経済成長期の転入増や第2次ベビーブームが要因のようだ。

 

 

内陸部では急速に団地の造成が行われ、さらに東京湾側を埋め立てて団地を造成するほどの人口増加だった。人口増加に対応した結果、道路の整備が追い付かなくなり慢性的な渋滞を引き起こしていた。千葉駅を中心としたバス路線は積み残しは当たり前のように発生し、渋滞の影響で10km走るのにも1時間かかっていたという。

 

バス輸送が追い付かなくなったためバス利用者に車での移動を進めたが、渋滞がさらに悪化して排気ガスや騒音などの問題も引き起こしていたそうだ。

 

この状況を打開すべく千葉市は軌道系交通機関の導入を検討する。調査の結果、千葉市の道路事情や地形、需要などで懸垂式モノレールが適しているという結論に至った。

 

 

モノレールは千葉市都心部へのアクセス強化や千葉駅に集中する交通の分散など目的として、1976年にどのようなルートでモノレールを建設するかというモノレールマスタープランが作成された。そのルートは現在の運行区間15.2kmの2倍以上である総延長40kmに及ぶ大規模な計画だった。

 

 

1979年にモノレールを運営する会社として、千葉県と千葉市が出費することにより第三セクター方式で千葉都市モノレール株式会社が設立された。第三セクター方式を採用したのは県及び市の財政負担軽減、経営の安定化などが主な理由だ。

 

1981年10月から工事が着手され、1988年3月に「スポーツセンター」〜「千城台」間の8.1kmが開業、1991年に「千葉」〜「スポーツセンター」間の4kmが開業、1995年に「千葉みなと」〜「千葉」間の1.6kmが開業、1999年には「千葉」〜「県庁前」間の1.7kmが開業し、現在の千葉都市モノレールの姿になる。

 

着々と計画ルートを完成させたが、「千葉」〜「県庁前」間の開業を最後にモノレールの延伸は途絶えることになってしまう。これは千葉市の人口が伸び悩み、財政難に陥ったことが原因のようだ。

 

 

2009年代に「県庁前」〜「市立青葉病院前」の延伸計画がされていたが財政難により白紙になる。が、2017年に千葉市の財政が健全化したことにより、延伸計画が再検討されることに。

 

「県庁前」〜「市立青葉病院前」のルートに加え、「穴川」〜「稲毛海岸」の2ルートになるが、稲毛ルートに関しては当初のルートよりも区間が大幅に短縮されている。

 

 

再検討されたものの、結局延伸されることはなく2019年9月4日に2ルート共延伸計画が凍結しまう。

 

これは延伸しても費用対効果が少ないこと、延伸した場合には新たな資金需要が必要となるため千葉都市モノレールの経営に支障をきたすということで完全に凍結となってしまった。これにより延伸ルートは幻に終わり、結果的に計画ルートの半分以下になる15.2kmの千葉都市モノレールとなったのだった。

 

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