新橋駅

Spot

旧新橋停車場

きゅうしんばしていしゃじょう

新橋駅汐留口から約200m


1872年に日本で最初に開業した鉄道駅、新橋停車場の駅舎を当時と同じ汐留地区に再現した建物。建物内は無料で入れる博物館となっており新橋停車場の常設展示、鉄道に関する企画展示が行われている。中の撮影はできないようだ。

当時のプラットホームの全長は151.5m、幅9.1m。駅舎寄りの25mがここに再現されている

創業時の線路。ここにある線路は1873年にイギリスのダーリントンで作られたもので官設鉄道で使われた後、新潟県柏崎市の製油所で使われたもの

0哩(ゼロマイル)標識。1870年4月25日、測量の起点となる第一杭がこの場所に打ち込まれた

駅舎玄関遺構。正面玄関の階段の最下段として使われていた切り石

浜離宮恩賜庭園

はまりきゅうおんしていえん

新橋駅汐留口から約1.5km

汐留駅から約300m


東京湾から取り入れた海水による潮の干満で景色の変化を楽しむ庭園。江戸時代に造成された甲府藩下屋敷の庭園が始まりで、徳川将軍家の別邸浜御殿になり、明治維新後は宮内省の管轄となって名前が離宮に、昭和には東京都に下賜され現在の都立庭園となった。

出入口の大手門

300年前に植えられ都内最大級の黒松となった三百年の松

あじさい

菜の花

2024年11月17日の大手門付近。紅葉の色づきが進んでいる

2024年11月17日のコスモス。見頃

コスモスとビル群

2024年11月17日時点のキバナコスモス。見頃

キバナコスモスの花

キバナコスモスの黄色とオレンジ

キバナコスモスとビル群

 

内堀。江戸時代、京都や大阪、長崎から船で運ばれてきた物資を江戸城に入れるための中継施設だった

浜御殿の籾蔵。飢餓に備えて幕府自らが救荒用倉庫として建てたもの

花菖蒲

花菖蒲がたくさん咲いている

ガクアジサイ

鴨塚の碑。園内には鴨などを捕獲するための施設である庚申堂鴨場と新銭座鴨場があり、鴨猟が行われていた。この碑は2つの鴨場で捕獲された鴨たちを供養するもの

新銭座鴨場。鴨場は飛来した水鳥が休むための島を配置した「元溜り」と呼ぶ大きな池と、幾筋かの引き込み水路「引掘」で構成されている

小覗。元溜りに放されたアヒルを中にある板木を叩いて引掘りに誘導する。アヒルは板木の音を聞くと引き掘にまいた餌を食べるようにしつけられている。飛来した野の鴨はアヒルの後を追う習性があるためつられて引き掘に入ってくる。入ってきた鴨の数を小覗で確認する

小覗の板木。引き掘に入ってきた鴨は、鷹匠が鷹を放って空中で鴨を捕獲する

大覗。池や鴨の様子を確認する。また、野生の鷹が池のそばに来ていると鴨が落ち着かないため、囮の鳩を置き野生の鷹をおびきよせて捕まえていた

富士見山からの景色

海岸からの景色。手前のビルは「メズム東京オートグラフ コレクション(ホテル)」隣は「ニューピア竹芝 ノースタワー」

モミジとビル群

イチョウとビル群

庚申堂鴨場の小覗

新樋の口山からの景色。レインボーブリッジが見える

江戸時代、歴代将軍が舟で御成りする際にここから上陸した将軍お上がり場

東京湾の海水を出し入れする横堀水門

庭園とビル群のコントラストを楽しむ

海水を取り入れ水位を変化させる潮入の池。ボラやクロダイなどを姿を見ることができる

燕の御茶屋。戦災で消失してしまったが史資料や遺構を参考にして復元されている

燕の御茶屋内

松の御茶屋。潮入りの池の目の前に建っていて池への眺望が良い

中島の御茶屋。将軍が賓客たちと共に和歌を詠んだり、潮入りの池に浮かぶ船上の音楽を楽しんだ場所。現在ここでは抹茶と和菓子セットを楽しめる(有料)

松の御茶屋。中島の御茶屋と対をなす端正な外観

松の御茶屋内。将軍が休憩や暖をとる際に腰をかけるための畳敷の上段が構えられている

松の御茶屋には鷹が待機する鷹部屋がある。将軍が鷹狩りに訪れた際に、鷹が出番を待つための施設として鷹部屋が作られていた

鷹(作り物)。鷹部屋の中は鷹が怯えないよう暗くなっていたようだ

叉手網(さてあみ)。野生の鴨を無傷のまま捕獲する捕獲用具

可美真手命(うましまでのみこと)像。明治天皇の銀婚式を記念して鋳造された

中の御門。江戸時代の初期の頃から大正時代まで使用されていた出入口

アドミュージアム東京

新橋駅汐留口から約550m

汐留駅から約200m


カレッタ汐留地下2階に入る日本で唯一の広告をテーマにした博物館。江戸時代から現代まで約33万点に及ぶ広告資料を収蔵し、時代と共に移り行く様々な広告を見ることができる。入館料は無料。

アドミュージアムは商業施設「カレッタ汐留」の中に入る

江戸時代の広告。現代でいうチラシの「引札」、ファッション広告の「錦絵」などこの頃から商売繁盛のために様々な広告があった

明治時代の広告。社会や人々には洋風の文化が広まり、広告は文明開化の姿とその変化を映していた

明治末期から大正時代にかけての好景気の中では都市化が進み、大衆消費社会が生まれる。食品や化粧品、医薬品など今でも色あせないブランドが登場し、華やかな広告が展開されていく

太平洋戦争に突き進む日本の中、広告は耐乏生活などを訴えるものが現れ時代の様相を生々しく映している

終戦後は民間ラジオ放送が登場しお茶の間に新しい彩りを添える。さらに民間テレビ放送が開始されると放送が昭和の広告の風景を大きく変えていく

視聴ブース「4つのきもち」。笑ったり泣いたり元気をもらったり、心を動かす広告を紹介する

昭和初期の広告マッチラベル

パナソニック汐留美術館

パナソニックしおどめびじゅつかん

新橋駅汐留口から約450m

汐留駅前


パナソニック東京汐留ビル4階に入る美術館。2003年4月に社会貢献の一環として開館した施設。フランスの画家「ジョルジュ・ルオー」の作品を収蔵している。企画展のジャンルはパナソニックの社業と関わりの深い・建築・住まい・工芸・デザイン。

2022年10月29日〜12月18日の企画展は「つながる琳派スピリット 神坂雪佳(かみさかせっか)」

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常磐線快速(上野東京ライン)

 

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