森下
もりした
Morishita
都営新宿線と都営大江戸線の乗り換え駅
東京都江東区
東京都交通局(2021年)約55,300人
都営新宿線
上り
馬喰横山・新宿・
京王線方面
下り
大島・本八幡方面
急行
各駅停車
都営大江戸線
両国・上野御徒町・
春日方面
門前仲町・大門・
六本木方面
都営新宿線と大江戸線が利用できる。新宿線開業当時は急行通過駅だったが大江戸線開業に伴い急行停車駅となる。これにより急行の所有時間が増えたと思われたが、岩本町駅での急行通過を制限速度35kmの中線2・3番線から外側の1・4番線に切り替えた。結果的に55kmでの通過が可能となり、停車駅を増やしつつ所有時間を維持した。
両国地区に近い駅。かつて墨田川が武蔵国、下総国の境をなしていた頃1660年に隅田川に最初の橋が架けられ、その橋は後に「両国橋」と呼ばれるようになった。すなわち両国とは武蔵国と下総国の両国にまたがる、というのが由来。
路線
新宿線
新宿起点
9.5km
大江戸線
都庁前起点
12.7km
駅構造 地下駅
ホーム 新宿線1面2線 大江戸線1面2線
開業日 1978年(昭和53年)12月21日
設置場所 | 新大橋通り方面改札内 |
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新大橋と松尾芭蕉の像。新大橋は当駅から徒歩約5分の隅田川に架かる橋。当時深川に芭蕉庵を構えていた松尾芭蕉が「初雪やかけかかりたる橋の上」といった句を詠んでいる。松尾芭蕉像は当駅から徒歩約8分の芭蕉庵史跡展望庭園にありそこは松尾芭蕉が愛した四季折々の水辺風景が広がっている。
設置場所 | 清澄通り方面改札内 |
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深川神明宮。当駅から徒歩約3分。当地を初めて開拓した深川八郎右衛門が、崇敬する伊勢神宮の御分霊をお祀りしたのが始まりとされる。開拓した当初は地名がなかったため、徳川家康は八郎右衛門の姓である「深川」を地名にせよと命じた。そしてこの地は深川と呼ばれるようになった。
都営新宿線駅名標
都営新宿線駅名標2
都営新宿線駅名標3
都営新宿線ホーム
放水口
都営大江戸線駅名標
都営大江戸線駅名標2
都営大江戸線駅名標3
都営大江戸線ホーム
清澄通り方面改札。都営新宿線はホーム菊川寄りから行く
清澄通り方面改札付近にあるパブリックアート「川舟」。幕府が水運を整備したことにより森林地帯だった一帯が栄えた
清澄通り方面改札、A6・A7出入口周辺。都道463号線
A6出入口
A7出入口
都営新宿線ホーム浜町寄りにある新大橋通り方面改札。この改札は都営大江戸線から遠い
松尾芭蕉の顔いろいろ。当駅周辺に江東区芭蕉記念館があることに因む
新大橋通り方面改札、A1・A2出入口周辺。江東区新大橋三丁目交差点
A1出入口
A2出入口
新大橋通り方面改札、A3・A4出入口周辺。新大橋通り、森下駅前交差点
A3出入口
A4出入口
駅の看板
江東区芭蕉記念館
こうとうくばしょうきねんかん
森下駅から約400m
江戸前期の俳人「松尾芭蕉」に関する資料の収集や展示を行う記念館。芭蕉は江東区の深川に庵を構え、拠点にし活動して多くの名句や「おくのほそ道」といった多くの紀行文を残した。この経歴から芭蕉ゆかりの地として当館が開館した。
深川芭蕉庵のジオラマ
深川芭蕉庵の中
芭蕉が深川芭蕉庵において愛好していたと伝えられる石のかえる
芭蕉像。像の内部は空洞のようだ
いかめしき 音やあられの ひの木かさ 「松尾芭蕉」
柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺 「正岡子規」
白菊と黄菊と咲いて日本哉 「夏目漱石」
記念館から約南に200m、芭蕉庵史跡展望庭園。分館の屋上
庭園から見る隅田川
松尾芭蕉の像
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