飯田橋

いいだばし

Iidabashi

所在地

東京都千代田区 

1日平均乗車人員

JR東日本(2021年)約55,300人
東京メトロ(2019年)約98,300人
東京都交通局(2021年)約11,200人

Train line

中央・総武線

西行
新宿・
中野・三鷹方面

東行
水道橋・秋葉原・
千葉方面

東京メトロ東西線

A線
高田馬場・
中野・三鷹方面

B線
大手町・津田沼・
東葉勝田台方面

快速

通勤快速

各駅停車

東京メトロ有楽町線

A線
池袋・和光市・
森林公園・飯能方面

B線
永田町・
有楽町・新木場方面

東京メトロ南北線

A線
四ツ谷・白金高輪・
目黒・日吉方面

B線
王子・赤羽岩淵・
浦和美園方面

都営大江戸線

新宿西口・都庁前・
光が丘方面

上野御徒町・両国・
大門方面

どんな駅?

JR中央総武線・東京メトロ東西線・有楽町線・南北線・都営大江戸線と計5路線が乗り入れる。地下鉄に至っては4路線とかなりの規模である。JR中央総武線西行(三鷹方面)、有楽町線下り(新木場方面)、南北線上り(目黒方面)は全て隣の駅が市ケ谷駅である。

 

JR中央線は緩行線(中央・総武線)のみにホームがある。かつてのホームはカーブ上にあり電車とホームの隙間が最大33cmと危険性が高く転落事故が多発していた。対策として2014〜2020年に渡りホームを市ケ谷寄り200mに移設することで隙間を解消、しかし移設の代償として東口改札からホームまで徒歩3分かかるようになった。このため1号車寄りに人が集まりやすく、階段から発車前の電車を見て乗れると思い駆け込み乗車を誘発しやすい。

 

東京メトロは東西線・有楽町線・南北線の3路線が利用できる。有楽町線と南北線は同じ改札内にあるが東西線だけ単独の改札となっている。有楽町線は平日に限りS-TRAINの停車駅に選ばれており、所沢始発豊洲行きは降車のみ、豊洲始発小手指行きは乗車のみ取り扱う。

 

2022年9月18日、東京メトロ東西線の線路が台風14号の影響で冠水し、13時15分〜21時頃までの約8時間に渡り「高田馬場」〜「日本橋」間で運転見合わせになる出来事があった。

 

JR線から都営大江戸線ホームまではかなり遠い。当駅は東京メトロが3路線あるため先に建設されたそれらを避けて深い位置に造られた。都営大江戸線の駅構内は地下深くにありながらも変化に富んだデザインでありグッドデザイン賞などを受賞している。

Gallery

Stamp

設置事業者 JR東日本
設置場所 JR飯田橋駅東口改札外
備考 2020年7月8日の駅のスタンプリニューアルに伴い廃止

牛込橋。飯田橋駅西口前にある、早稲田通りの橋で神田川に架かる。江戸城の遺構であり江戸城外郭門の一つ牛込門のあった場所。1639年に建造され敵の侵入を発見し防ぐために「見附」と呼ばれていた。橋の南側には牛込見附門の石垣が現存しており、当時の面影が感じられる。

設置事業者 JR東日本
設置場所 JR飯田橋駅西口改札外

古書街、荷足船(にたりぶね)。飯田橋は古本のまちである神保町に近く、流通ルートを確立させやすいため本屋が多いとされる。江戸時代、現在の飯田橋周辺は隅田川や神田川を渡ってきた荷足船(小型の荷船)が荷揚げを行う「揚場」があった。駅近くには揚場町という地名がある。

設置事業者 東京都交通局
設置場所 都営飯田橋駅後楽方面改札外

東京大神宮と小石川後楽園。東京大神宮とは飯田橋駅から徒歩約3分の天照皇大神・豊受大神を主祭神とする神社。縁結びの神社として女性に人気が高い。小石川後楽園は飯田橋駅から徒歩約8分の場所の庭園。小石川とは文京区の地名で岡山市の後楽園と差別化のためにつけている。

設置事業者 JR東日本
設置場所 JR飯田橋駅西口改札外
備考 JR東日本スーパートレインスタンプラリー(2024)による限定設置

209系500代 中央・総武線。2024年1月12日(金)〜3月4日(月)に開催された「スーパートレインスタンプラリー」で設置。50駅中10駅のスタンプを集め、ゴール店舗で税込600円以上の買い物をするとスーパートレインアクリルスタンドなどがプレゼントされた。50駅全て集めゴール店舗に行くと50駅コンプリート証をプレゼント。

設置事業者 東京メトロ
設置場所 東京メトロ飯田橋駅駅事務室(有楽町線・南北線改札外)
備考 東京メトロ全駅スタンプラリーのポスターのQRコードを読み取り取得

東京大神宮。QRコードを読み取り取得するデジタルスタンプ。東西線飯田橋駅から徒歩約4分。東京都心にいながら三重県伊勢市の伊勢神宮を参拝できる遥拝殿(ようはいでん)。遥拝殿とは遥か彼方から拝むための建物。江戸時代の人々は伊勢神宮に参拝する事が生涯の願いであったが、江戸から伊勢神宮は遥か遠いため当宮が創建された。創建当時は日比谷にあったが関東大震災で焼失し、5年後に現在の地である飯田橋に再建された。

 

Spot

江戸城 牛込見附跡

神楽坂

小石川後楽園

甲武鉄道始点の地と飯田町駅跡

東京大神宮

印刷博物館

Station data

JR東日本
駅構造 高架駅
ホーム

1面2線

開業日

1928年(昭和3年)
3月6日

運営形態 直営駅・管理駅
路線

中央・総武線
(中央本線)

駅番号 JB16
キロ程

3km
(神田起点)

市ケ谷
(1.5km)

水道橋
(0.9km)

年度別1日平均乗車人員
1960年 78,400
1970年 91,000
1980年 80,600
1987年 国鉄分割民営化によりJR東日本の駅となる
1990年 94,200
2000年 91,100
2010年 90,400
2019年 90,300
2020年 55,500
2021年 55,300
東京メトロ
駅構造 地下駅
ホーム

2面2線(東西線)

1面2線(有楽町線・南北線)

開業日

1964年(昭和39年)
12月23日

運営形態 直営駅
路線
東京メトロ東西線
駅番号 T06
キロ程

8km
(中野起点)

神楽坂
(1.2km)

九段下
(0.7km)

東京メトロ有楽町線
駅番号 Y13
キロ程

16.4km
(和光市起点)

江戸川橋
(1.6km)

市ケ谷
(1.1km)

東京メトロ南北線
駅番号 N10
キロ程

10km
(目黒起点)

市ケ谷
(1.1km)

後楽園
(1.4km)

年度別1日平均乗車人員
1964年 営団地下鉄東西線開業
1964年 6,100
1970年 29,500
1974年 営団地下鉄有楽町線開業
1980年 46,600
1990年 65,600
1996年 営団地下鉄南北線開業
2000年 69,200
2004年 営団地下鉄民営化に伴い東京メトロの駅となる
2010年 84,900
2018年 100,000
2019年 98,300
東京都交通局
駅構造 地下駅
ホーム

1面2線

開業日

2000年(平成12年)
12月12日

路線
都営大江戸線
駅番号 E06
キロ程

5.8km
(都庁前起点)

牛込神楽坂
(1km)

春日
(1km)

年度別1日平均乗車人員
2000年 都営地下鉄大江戸線開業
2000年 8,270
2005年 12,200
2010年 13,700
2015年 16,000
2019年 17,100
2020年 11,200
2021年 11,200

 

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Column

牛込駅と飯田町駅

 

 

JR中央・総武線に加え多数の地下鉄路線が乗り入れる飯田橋駅。中央・総武線のホームは2020年まで急カーブ上に位置し、電車とホームの隙間が広く「都内で最も危険なホーム」と言われていた。広いところでは隙間が33cmもあったようだ。

 

JR東日本は対策として転落検知マット、注意喚起の回転灯、放送設備で利用者の転落を防いでいたがホームを線路が直線になる西側(市ケ谷寄り)に約200m移設することで隙間を解消。これにより隙間が最大15cmまでに縮小し、安全性が大幅に向上した。

 

 

これであの危険なホームはなくなり、同時に西口駅舎や駅前もリニューアル。新たな飯田橋駅が誕生した。

 

 

ここからは歴史の話になるが、新たに移設したホームはJR東日本の前身、国鉄のさらに前身、甲武鉄道の「牛込駅」に位置しているというのだ。つまり今回のホーム移設は牛込駅の復活ととらえることができる。

 

甲武鉄道は1894年10月に「新宿」〜「牛込」間を開業。牛込駅は現在の飯田橋駅西口から少し市ケ谷寄りに位置していた。

 

1895年4月には現在の水道橋駅近くの大和ハウス東京ビル付近に「飯田町駅」が開業。1906年10月に甲武鉄道は国有化され国鉄に。1928年に中央本線の複々線化に伴い牛込駅と飯田町駅は統合され飯田橋駅となった。

 

2つの駅はなくなってしまったが牛込駅の遺構と飯田町駅の跡地が確認できる場所がある。それぞれ見てみよう。

 

 

まずは牛込駅の遺構。JR飯田橋駅西口、オフィスビルの飯田橋グラン・ブルームの向かい側に石積みの構築物が残っている。

 

 

構築物の隣にはイタリア料理店と薬局が建っており、ひっそりと昔の姿を遺している。

 

 

続いて飯田町駅の跡地。こちらはJR飯田橋駅から多少歩く。「飯田橋」〜「水道橋」間にはアイガーデンテラスという再開発地区があるのでそちらに向かう。この地区内に建つホテルメトロポリタンエドモントに隣接する形でかつての飯田町駅を再現するように1本のレールが敷かれているのだ。

 

駅舎の遺構はないものの現在の大和ハウス東京ビルが建つ場所に駅舎があったようだ。

 

 

 

なくなったものは人々が忘れない限り記憶に残り続ける。遺構や当時の姿の再現など形として遺すことによってそれを知らない人々にも昔はこんなものがあったと広く認識させることができる。こうすることで昔の記憶は末永く受け継がれていくのだ。この牛込駅と飯田町駅はいい例なのかもしれない。

 

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