所在地
千葉県習志野市
1日平均乗車人員
京成電鉄(2021年)約4,510人
普通列車のみ停車。当駅周辺には「谷津遊園」という海辺の遊園地が存在していたが1982年に閉園した。そして最寄駅だった当駅は駅名が「谷津遊園駅」だった経歴がある。
かつて駅南側に存在した谷津遊園の最寄り駅で潮干狩りや海水浴客といった利用客で賑わい、房総半島を彷彿させるような商店街が広がっていた。谷津遊園はなくなってしまったが、現存する谷津バラ園と谷津干潟が観光地としての面影を残している。
京成本線
(上り) |
(下り) |
普通 | |
谷津バラ園、読売巨人軍発祥の地、谷津干潟。この3か所は谷津駅から徒歩約10分。読売巨人軍発祥の地は谷津バラ園入口右手にあり、巨人軍関係者の手形が多数並んでいる。なぜここが読売巨人軍発祥の地なのか、1934年にアメリカのメジャーリーグ一行を日本に招き、その相手をするため日本は臨時でチームを結成、これが母体となり読売巨人軍が誕生する。このチームの練習場所として提供されたのが谷津遊園内のグラウンドだったため。谷津干潟は埋め立てや都市化が進行する東京湾の環境保全を図るため残された干潟である。東京湾に飛来する渡り鳥の生息地として保護されている。
メルファンランド、コークスクリュー、バラ園。船橋市郷土資料館で許可を頂き撮影したもの。谷津駅が改称する前の「谷津遊園駅」になっている。谷津駅が改称する前の「谷津遊園駅」になっている。谷津駅は1982年まであった遊園地の谷津遊園の最寄り駅だったが、谷津遊園が閉園すると当駅は現在の「谷津駅」となる。以前は特急停車駅であるほど賑わっていたようだ。谷津遊園はなくなったがバラ園に関しては習志野市が買収したため、谷津遊園閉園後も谷津バラ園として残っている。
縦型駅名標
改札
北口は住宅街
デッキから見る景色
駅の看板
谷津干潟
やつひがた
谷津駅から約800m
東京湾に飛来する渡り鳥の生息地で「鳥獣保護区」および「ラムサール条約」登録地。東京湾は1960年〜1970年にかけて埋め立てが著しく進んだが、多くの鳥が飛来する貴重な環境であったため埋め立てを免れて長方形のような池になった。干潟を囲むように約3.5kmの遊歩道が整備されている。
北側にある観察窓
コサギ。白いサギの中では一番小さい
アオサギ。サギの中では一番大きく、目の上から後頭まで紺色の帯が通っている
ウミネコ。夏から秋にかけて見られる
野鳥の観察スペースや売店、展示コーナーなどが設けられたボランティア等の活動拠点「谷津干潟自然観察センター」。入館料は有料
観察スペース
ジオラマ。谷津干潟と東京湾がどう繋がっているのかがわかる
特別展示コーナー。2023年7月23日〜8月27日は「あのころの谷津干潟展」。昔の谷津干潟は子どもの遊び場であった
習志野市・ブリズベン市湿地交流20周年記念碑。両市はラムサール条約に登録された湿地の安全と渡り鳥の保護を通じ交流を続けている
谷津干潟公園
谷津干潟北側
谷津干潟東側
JR京葉線「南船橋駅」方面を眺める
高架を走るJR京葉線
遠くから見る谷津干潟自然観察センター。屋根にラムサール条約登録湿地と書かれている
潮が引いている
谷津バラ園
やつバラえん
谷津駅から約600m
約800種類7500株のバラを育てる公園。前身は谷津遊園と呼ばれる京成電鉄直営の遊園地だったが1982年12月に閉園、遊園地内の施設の一部だったバラ園を習志野市が買収し、谷津バラ園として現在も残されている。
毎年の千葉県民の日(6月15日)は無料開放となるらしい。
2020年11月時点の谷津バラ園
2022年5月21日時点の谷津バラ園
エリナ
バラのアーチ
ブライダル ピンク
モンタナ
ドルトムント
ミスターローズ
スパニッシュ ビューティ
ツル ショー ガール
コンデッサ
習志野市市制施行50周年を記念する習志野市だけのバラ「ローズ・50 ならしの」。夢と希望をイメージする鮮やかなオレンジ色
ゲートの外にある読売巨人軍発祥の地
京成電鉄 | ||
---|---|---|
駅構造 | 地上駅・橋上駅 | |
ホーム |
1面2線 |
|
開業日 |
1921年(大正10年) |
|
路線 | ||
京成本線 | ||
駅番号 | KS25 | |
キロ程 |
26.4km |
|
船橋競馬場 |
京成津田沼 |
|
年度別1日平均乗車人員 | ||
2000年 | 6,830 | |
2005年 | 5,670 | |
2010年 | 5,580 | |
2011年 | 5,470 | |
2021年 | 4,510 |
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かつて谷津駅の近くには谷津遊園地(以下谷津遊園)と呼ばれる東京湾沿いの遊園地があった。この谷津遊園は塩田地および塩業試験場だった場所を埋め立てることにより、1925年に開園したものだ。母体は京成電鉄である。
谷津遊園は近隣にあるレジャー施設の船橋ヘルスセンターと共に、潮干狩りや海水浴のできる海辺の遊園地として大変賑わいを見せていたようだ。谷津遊園には大観覧車やコースター、ゴーカートや動物園、バラ園などがあった。
谷津遊園は黒字経営だったが、京成電鉄の東京ディズニーランドの経営参加計画に伴い、1982年12月21日に閉園することになる。
閉園後、園内の遊具の多くは北海道の遊園地に売却、観覧車は破棄、跡地の大半には団地を造成、残った土地は習志野市が買収して谷津公園になった。
バラ園に関しては閉鎖を惜しむ声が上がったため、1988年から「谷津バラ園」として再開園した。バラ園の経営者は京成電鉄の子会社である京成バラ園芸が行う。
また谷津バラ園出入口近くにある「読売巨人軍発祥の地」も谷津遊園のものとされる。1934年に来日したアメリカ選抜チームに対抗するために結成された全日本チームがここで練習し、後に現在の読売ジャイアンツになった経緯から設置されているようだ。
なお現在の最寄り駅は谷津駅となっているが、1927年8月21日〜1934年6月21日までは谷津遊園へのアクセス路線である谷津支線「京成花輪(現船橋競馬場駅)」〜「谷津遊園地」が存在していた。2駅だけの路線で、距離はわずか1.2km。複線だったようだ。押上方面からの直通運転も行われていたらしい。因みに京成花輪駅は谷津支線開業と同時に当駅も開業した。
しかし谷津海岸駅(現谷津駅)から谷津遊園を直線で結ぶ約300mの道路が開通する。この道路は後の谷津遊路商店街になる。谷津海岸駅から徒歩でのアクセスが向上したため1931年に谷津支線は必要性が薄くなり単線化、1934年には廃線になってしまう。これに伴い京成本線の谷津海岸駅が谷津遊園駅に改名されたのだった。
谷津遊園が1982年に閉園してから2年後の1984年、谷津遊園駅は谷津駅に名前を変え、停車していた特急が通過となる。2002年にはかつて設定されていた急行も通過になり、新たに設定された快速も通過になった。これにより谷津駅は現在と同じ普通列車のみ停車する駅になる。
以上のように谷津駅周辺は昔、観光地として賑わいを見せていたのだ。今ではすっかり住宅街になってしまったものの、現存する谷津バラ園などが当時の名残を残している。
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