野田市
のだし
Nobashi
(キッコーマン野田本社前)

所在地

千葉県野田市

 

1日平均乗車人員

東武鉄道(2018年)約5,050人

 

 

 

キッコーマン本社最寄り駅。かつては駅に隣接する醤油工場から貨物輸送が行われていたため、駅の面積が広い。さらに東武野田線の前身である総武鉄道の本社が当駅にあった。

東武アーバンパークライン

 

(上り)
春日部・
岩槻・大宮方面

(下り)
流山おおたかの森・
柏・船橋方面

STAMP

おしょう油のふるさと・野田

8000系

STATION GALLERY

駅名標。カッコ書きでキッコーマン野田本社前

かつての駅名標。カッコ書きでキッコーマン野田本社前

縦型駅名標

ホーム

ホームから見える観覧車は「もりのゆうえんち」

地上駅だった頃のホーム

高架線切替工事中だった頃

地上駅だった頃にあった地下歩道。ホームと駅舎を結ぶ

改装中の駅構内

祝高架化

改札

野田市駅周辺観光案内図

駅前はキッコーマンの工場などが立地する。野田市の中心市街地にも近い

キッコーマンの工場

仮駅舎

仮駅舎の看板

駅の看板

野田市駅の文字

SPOT

野田市郷土博物館・市民会館

のだしきょうどはくぶつかん

しみんかいかん

野田市駅から約700m


野田市や醤油の歴史などに関する展示を行う野田市郷土博物館と、野田の醤油醸造家である茂木佐平治の邸宅を市民会館として開館した野田市市民会館が立地する場所。庭園は千葉県初の国登録記念物である。

野田市郷土博物館。入館料は無料

醤油仕込みの桶の底板。屋外展示もある

野田市市民会館として利用される旧茂木佐平治邸。CMやドラマのロケ地などに幅広く利用されている。

市民会館は自由に見学できる

市民会館の庭園。国登録記念物

もりのゆうえんち

野田市駅から約1km


ショッピングモール「イオンノア」に隣接する子供向けの遊園地。高さ65mの観覧車を中心にバッテリーカーやコースターなど16のアトラクションがある。入園料は無料である。

STATION DATA

東武鉄道
駅構造 高架駅
ホーム

1面2線

開業日

1911年(明治44年)
5月9日

路線

東武野田線
(東武アーバンパークライン)

駅番号 TD17
キロ程

28.6km
(大宮起点)

愛宕
(0.9km)

梅郷
(2.3km)

年度別1日平均乗車人員
2010年 4,920
2012年 5,180
2014年 5,150
2016年 5,110
2018年 5,050

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COLUMN

醤油のふるさと

 

 

千葉県は全国有数の醤油の生産地であり、生産量は日本一を誇る。国内の醤油生産量3割を占め、キッコーマン・ヤマサ醤油・ヒゲタ醤油といった大手醤油メーカーの本社や工場が立地しているほどだ。中でも野田市はキッコーマンの発祥地であり、その歴史は深いものである。

 

そもそもなぜ千葉県は醤油生産が盛んなのか、その歴史を辿ってみよう。

 

約350年前、千葉県北東部に位置する現在の野田市は東を江戸川、西を利根川に挟まれている地形に加えて、野田は江戸(東京)に近かった。この地勢から水運が盛んであり、関東平野で採れた大豆や小麦が利根川と江戸川をつたって野田や江戸、銚子に運ばれていた。

 

 

醤油の原材料は大豆・小麦・食塩の3種類。大豆は現在の茨城県、小麦は現在の埼玉県と群馬県、塩は江戸川下流に位置する千葉県の行徳で生産が盛んだった。そして利根川と江戸川に接する野田は醤油の材料3種類全てを水運で集めるのにうってつけな場所だったのだ。

 

集めるだけでなく、運ぶのにも江戸に近かったため、完成した醤油は江戸川の水運で約半日ほどで江戸に運ぶことができた。これにより、野田は醤油の名産地として栄えていくことになる。

 

 

明治に入って醤油の需要が高まると水運では輸送が追い付かなくなり、千葉県に対して醤油を輸送する鉄道の建設を要請する。これにより1911年に野田と柏を結ぶ千葉県営鉄道の野田線が開業した。柏駅から常磐線を経由して日本の各地に野田の醤油が運ばれていったのだった。

 

そして1917年には野田のしょうゆ醸造家一族が合同して「野田醤油株式会社」を設立する。後の「キッコーマン」である。

 

キッコーマンの由来だが、これは醸造家一族の一家である茂木家の醤油銘柄の商標「亀甲萬」のことである。茂木家は数ある野田の醸造家の中でも高品質な醤油をつくることで人気を集めていた。

 

 

銘柄の由来は千葉県香取市にある香取神宮の宝「三盛亀甲紋松鶴鏡(みつもりきっこうもんまつつるきょう)」が元である。鏡の裏側に書かれた六角形の模様、「亀甲紋様」を図にした。そして「鶴は千年亀は万年」ということわざから「萬(万)」の字を入れた。これが「亀甲萬」となる。

 

会社は次第に成長を続け1980年には社名が現在の「キッコーマン」になる。一方で醤油の輸送はトラック輸送が主力になっていったため、水運は行われなくなり、野田線の貨物輸送は1985年を持って終了した。

 

 

貨物輸送が行われなくなった野田線は東京都心に近いという地勢からベッドタウン路線として変わっていくことになる。沿線は宅地開発が進み、単線が多かった線路も需要が増えると複線化されていった。後の「東武アーバンパークライン」である。

 

・・・というのが野田市と醤油の歴史なのだ。東武アーバンパークラインはもともと江戸に醤油を運ぶための路線として敷設された経歴もあることから野田市は醤油で栄えた町だということがよくわかる。

 

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