新三郷
しんみさと
Shim-Misato
武蔵野操車場の跡地を再開発した場所
埼玉県三郷市
JR東日本(2021年)約12,700人
武蔵野線
下り
新松戸・西船橋・
東京・海浜幕張方面
上り
南越谷・南浦和・
府中本町方面
しもうさ号
各駅停車
1974年〜1986年まで「吉川」〜「三郷」間の5.2kmに日本最大の貨物列車用の操車場「武蔵野操車場」が当駅周辺に広がっていたが、1986年に国鉄の経営悪化で廃止。新三郷駅は廃止前の1985年に操車場を挟む形で開業し、2012年には跡地を利用して吉川寄りに吉川美南駅が開業した。
開業当初はかつて存在した武蔵野操車場を挟む形で上下線のホームが360m離れて設置されており、「世界一ホームが離れている駅」としてギネスに登録されていた。後に操車場が廃止されると現在の位置にホームが移設、操車場の跡地には商業施設や住宅地が開発された。
路線
武蔵野線
鶴見起点
80.1km
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面2線
開業日 1985年(昭和60年)3月14日
運営形態 業務委託駅
設置場所 | 改札内 |
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安養院の大銀杏と駅前「そら豆」オブジェ。スタンプインキ薄め。安養院とは新三郷駅から約3kmの寺院。境内にある大銀杏の樹齢は約600年と言われ、銀杏の実を家族の数だけ食してその年の無事を祈願したと伝えられる。新三郷駅西口にはそら豆のオブジェがあるが、この地で盛んに生産されていたそら豆、武蔵野操車場という貨物列車の操車場があった事に因む。武蔵野操車場は国鉄の経営悪化に伴い廃止され、跡地には住宅街や商業施設などが建設されて現在の姿となった。
駅名標
縦型駅名標
ホーム。ららぽーと新三郷などの商業施設が駅前にあり、そちらの利用客が見られるが利用客は武蔵野線の中でも少なめの数値
改札。改札外に待ち合わせ客が多いような気がした
西口はららぽーと新三郷が立地し、デッキで結ばれている。住宅や商業施設の開発が進む「新三郷ららシティ」。駅前の商業施設は他にイケア、コストコホールセール
三郷市のマスコット「かいちゃん&つぶちゃん」像。カイツブリという鳥が三郷市の鳥。同市の「三郷中央駅」にもある
「ららシティ」のオブジェ。この地で生産が盛んだった「そら豆」、かつて存在した武蔵野操車場の敷地に形が似ていることから「そら豆」の形をしている
東口。西口に比べると駅前に商業施設は皆無かつ、先に田園地帯が広がる。人通りは少ない
東口駅舎
新三郷駅の文字
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三郷駅の新三郷寄り、吉川駅の吉川美南寄りは上下線の間隔が徐々に広がっている場所があるが、これはなんなのだろう。
これはかつて三郷駅から吉川駅にかけて存在していた「武蔵野操車場」という貨物列車用の操車場(ヤード)の名残である。そしてここが武蔵野操車場があったことを示す看板が新三郷駅にある。
武蔵野操車場跡地
武蔵野操車場は、武蔵野線が昭和四十八年(1973)に府中本町-新松戸間が開業した翌昭和四十九年(1974)に、吉川-三郷の間に日本最大(全長約2.5km、最大幅360m)の貨物列車用の操車場(ヤード)として誕生しました。
貨車の仕分け・組成は当時の最新式システムによって自動化。貨車番号のカメラによる読み取りや目的地のデータがコンピュータ処理され、大幅な省力化を実現しました。
しかし、当時の国鉄の経営悪化等の影響によるヤード集結型貨物輸送の廃止にともない、開業わずか十年後の昭和五十九年(1984)に機能を停止、昭和六十二年(1986)に正式に廃止されました。
機能停止後の昭和六十年(1985)、沿線人口の増加により吉川-三郷間に新三郷駅が開業しましたが、操車場を挟む形で上下線のホームが360m離れて設置されており、ギネスブックに「世界一ホームが離れていた駅」として掲載されました。その後、線路が取り除かれ、平成十一年(1999)に上りホームが下りホーム側に移動しました。
操車場が廃止されて以後、昭和六十二年(1987)に国鉄分割民営化にともない、跡地は日本国有鉄道清算事業団に引き継がれ、平成十八年(2006)に跡地の競争入札が行われ、大手不動産会社等が落札し、跡地を十二の区画に分け、大型商業施設等が誘致されました。平成十九年(2007)には全街区の総称を「新三郷ららシティ」とし、平成二十年(2008)に住居表示が施行されました。その後、大型の物流倉庫や分譲住宅も建設されました。
つまり、新三郷駅周辺は武蔵野操車場の跡地を利用してつくられた町だということです。しかしまあ十年で日本最大の操車場が廃止になるとは当時の国鉄も思いもしなかったでしょう。まあ、結果的に新三郷駅や大型商業施設等ができたので結果オーライ、なのでしょうか。
そして駅前にあるららぽーと新三郷にはここが武蔵野操車場であったことに関連するのか、次の客車が展示・保存されている。
夢空間 ラウンジカー
夢空間 ダイニングカー
「夢空間」とは、東日本旅客鉄道株式会社(JR東日本)が、1989(平成元)年に、寝台列車による新しい旅の形を提案しようと製造した豪華客車。
食堂車であるダイニングカー、喫茶や飲酒を楽しむためのラウンジカー、そして寝台車であるデラックススリーパーという個性豊かな3つの車両で構成された。
東日本地区を中心に、観光シーズンやスキーシーズンなどに様々な寝台特急の臨時列車として活躍し、上野〜札幌間を結ぶ「北斗星」に連結された際は「夢空間北斗星」の愛称で運行された。
ラウンジカーの車内装飾およびデザインは松屋百貨店によるもので、テーマを「知的遊空間」としたアール・ヌーボー調のインテリアは、ホテルロビーやバー、ラウンジをイメージして造られた。中央にカウンター、その両側に14席のソファーが配置され、ピアノのメロディが流れるアンティークな雰囲気の空間で、カクテルやビールを楽しむことができた。
ダイニングカーの車内装飾およびデザインは東急百貨店によるもので、パリのピストロをイメージしたポスト・モダン調のインテリアと、大きな窓が海堡的な展望者感覚の空間が特徴。他の車両の乗客が通路を行き来することなくゆったりと食事ができるよう、列車構成の端に連結された。オープンフロアの18席に加え、4人用の個室も設けられ、豪華な内装区間の中でフランス料理のフルコースを楽しむことができた。
こちらのラウンジカーはららぽーと新三郷のコメダ珈琲店の隣、ダイニングカーは南モールの駐車場にある。ここが武蔵野操車場であったことに思いを馳せながら探してみてはいかがだろうか。
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