京成西船

けいせいにしふな

Keisei-Nishifuna

所在地

千葉県船橋市

1日平均乗車人員

京成電鉄(2021年)約4,650人

Train line

京成本線

上り
青砥・日暮里・
京成上野・押上方面

下り
京成船橋・
成田空港方面

普通

Walk

どんな駅?

正式な乗り換え駅ではないが南に徒歩約8分の場所に西船橋駅があり歩いて行くことが可能。当駅には普通列車しか停車しないがホーム有効長は8両分あり、西船橋駅のJR線などに運休が発生するとこの有効長を活かして優等列車を停車させ、振替輸送の対応を行うことがある。

 

駅名である「西船」は近辺にある西船橋駅にちなんでつけられた船橋市の地名である。

Stamp

設置場所 改札窓口

妙見神社、宝成寺。妙見神社は当駅から徒歩約10分。かつて葛飾と呼ばれた地域にあり、地域の鎮守として千葉妙見神社を勧請した神社。宝成寺は同じく徒歩約3分。江戸時代初期に同地域を治めていた栗原藩成瀬家の菩提寺として創建され、400年以上の歴史を持つ由緒ある寺院。

妙見神社、宝成寺。船橋市郷土資料館で許可を頂き撮影したもの。京成西船駅が改称する前の「葛飾駅」になっている。京成西船駅は開業当時、この辺りの地名が東葛飾郡葛飾町だったため当駅は葛飾駅だった。1967年に地名が西船橋駅に因み「西船」になり、東京都葛飾区との間違いを防ぐため、後に「京成西船駅」に改められた。

 

Gallery

駅名標

駅名標・京成なし

縦型駅名標

縦型駅名標・京成なし

ホーム。普通のみ停車。有効長8両分あり、西船橋駅の路線のダイヤが乱れるなどすると当駅に優等列車を停車させることがある

 

葛飾の地名とその由来。当駅は開業当初「葛飾駅」だった

上りホーム上にあるトイレ

改札。上りホーム1か所だけ

当駅から西船橋駅までの経路。徒歩約6分。乗り換え駅扱いではない。JR(総武・武蔵野・京葉線)とあるが、なぜか東西線と東葉高速線の表記なし

当駅から西船橋駅乗り換え案内。従来の案内が新しくなったもの。東西線と東葉高速線が追加されたが道案内が消えた。あたかも乗り換え駅のような表記

駅周辺。正式な乗り換え駅ではないが、南に徒歩約6分の場所に西船橋駅がある。微妙に距離があり、横断歩道を渡る場所もあるため普段使いはしにくそう

駅横の地下歩道で駅の反対側に移動できる。反対側は閑静な住宅街

スロープ

改装中だった頃。2019年にリニューアル工事が実施

駅の看板

踏切にある駅の看板。最近見なくなった京成らしいフォント。ここの踏切は朝方人、車、自転車が入り乱れる危険な場所だったが道路拡幅工事が行われた模様

Station data

京成電鉄
駅構造 地上駅
ホーム

2面2線

開業日

1916年(大正5年)
12月30日

路線
京成本線
駅番号 KS20
キロ程

22.2km
(京成上野起点)

東中山
(0.6km)

海神
(1.4km)

年度別1日平均乗車人員
2000年 3,980
2005年 4,010
2010年 4,280
2014年 4,860
2021年 4,650

 

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Column

京成西船駅から西船橋駅まで歩く

 

 

京成線の京成西船駅、JR線・東京メトロ・東葉高速線の西船橋駅は約500mと比較的近く徒歩連絡ができる。とはいえ正式な乗り換え駅ではなく、京成西船駅も普通しか停車しない。しかしJR線などに輸送障害が生じると当駅が振替輸送に指定され、優等列車が停車することがある。

 

利便性は今一つだがいざという時には乗り換え駅として機能する、そんな京成西船駅と西船橋駅の乗り換えルートを見てみよう。

 

 

駅を出たらファミリーマートの横にある細い道を進みます。

 

 

踏切を渡らず右に曲がります。道が狭いのと車通りが多いので出会い頭に注意。

 

 

曲がったら道なりに歩きます。

 

 

道路標識にJR西船橋駅と表記されています。

 

 

交差点を渡ります。ここを渡れば西船橋駅はもうすぐです。

 

 

というわけで西船橋駅に到着しました。中央・総武線、武蔵野線、京葉線、東京メトロ東西線、東葉高速線と多くの路線が乗り入れる千葉県屈指のターミナル駅です。

 

正直な話、京成とJRを乗り換えるのならば隣の京成船橋駅(海神駅を挟む)のほうがJR船橋駅と距離も近く、全ての優等列車が止まるのでわざわざ普通しか止まらない京成西船駅と距離のある西船橋駅を乗り換えるメリットは薄めです。もしもの時の乗り換え駅、といったイメージでしょうか。

 

葛飾の地名とその由来

 

 

「葛飾」は、万葉集にも載るゆかしい地名で、葛が繁茂した豊かな土地の美称であり、昔の「下総国葛飾群郡」一帯(千葉・茨城・埼玉・東京の各都県にまたがる)の呼称でもあった。

 

この辺りは、平安時代の書、和名抄にも「葛飾郡栗原郷」と記され、駅の東方、印内台地上の遺跡からは、古墳時代より奈良平安時代にかけての集落跡が見つかり、西側、東中山駅寄りの本郷台遺跡からは、古墳時代より奈良平安時代の墨書土器二百余点が出土して注目された。

 

これらは古くからこの地域が、葛飾郡の中でも主要な土地であったことを物語っている。なお、「東京郡葛飾区」など江戸川の西岸地方は、中世頃から「葛西領」といわれていたところである。

 

降って明治二十二年の町村制施行にあたって、近隣八か村(西海神、山野、印内、古作、寺内、本郷、二子、小栗原)が合併し、郡総社として一千年の歴史を持つ、「葛飾大明神」の社号をとって村名を「葛飾村」とした。葛飾村は昭和六年に「葛飾町」となり、昭和十二年四月合併して船橋市となった。

 

その後、葛飾町役場のあった大字寺内が船橋市「葛飾町」となり、昭和四十一年の新住居表示実施まで続き、今も一部残っている。

 

この駅は、大正五年十二月京成電鉄が船橋まで延長した際、その地名をとり「葛飾駅」として開設した。永く親しまれた駅名も駅周辺地域が近年、主に「西船」の名称に一般化したことなどから昭和六十二年四月一日「京成西船」に改称した。

 

駅付近には、村名の基となった「葛飾神社」をはじめ、戦後、永井荷風の随筆「葛飾土産」で有名になった史跡「葛羅の井」、万葉の歌に因んだ「勝間田の池」(現、勝間田公園)、江戸時代初期の地頭成瀬氏および、尾張犬山城主となった成瀬氏の基所のある「宝成寺」がある。また伝統ある市立葛飾小・中学校もある。

 

数々の史跡、伝承を訪ね、山蔭の小道をたどれば、四季折々の美しい自然に恵まれたかつての「葛飾の里」を偲ぶことができる。

 

変貌著しい時代、ここに古い由緒を持つ「葛飾」の沿革を記す。

 

 

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