御茶ノ水駅
Spot
史跡 湯島聖堂
しあと ゆしませいどう
御茶ノ水駅から約150m
幕府直轄の学問所で日本の近代教育発祥の地として知られる。元々は江戸幕府5代将軍「徳川綱吉」によって建てられた孔子廟(こうしびょう)だった。現在は学問の聖地として、受験生が合格祈願を祈って参拝に訪れる。
入徳門(にゅうとくもん)
杏壇門(きょうだんもん)
秋は紅葉が綺麗だ
孔子銅像。高さ4.57m、重量約1.5tの世界最大の孔子の銅像
明神門(みょうじんもん)
ニコライ堂
ニコライどう
御茶ノ水駅から約200m
イエス・キリストの復活を記憶する、日本ハリストス正教会の大聖堂。正式名称は「東京復活大聖堂」であり、「ニコライ堂」とは堂を建てたのが日本正教会の創建者「ニコライ大主教」だったことに基づく。建物は高さ35mのドーム屋根が特徴的なビザンティン建築で国の重要文化財に指定されている。
神田明神
かんだみょうじん
御茶ノ水駅から約450m
正式名称は神田神社。「大己貴命(おおなむちのみこと)」「少彦名命(すくなひこなのみこと)」「平将門命(たいらのまさかどのみこと)」の3つの神を祀り縁結びや健康祈願などの御利益で知られる。祭礼として1年おきの5月中旬に行われる「神田祭」があり、日本の三大祭りの一つに数えられる。例年30万人以上が訪れる大きなお祭り。
鳥居
隨神門。昭和50年に昭和天皇御即位50年の記念事業として再建
手水舎
だいこく様尊像。高さ6,6メートル重さ約30トンで石造りとしては日本一のだいこく像
祭務所、神楽殿
鉄製天水桶。拝殿前にあり、「摂州灘(せっしゅうなだ)大石」と「筋違外(すじかいそと)」の酒屋が発起人となり、神田あるいは新川(現在の中央区)辺りの酒屋5名を世話人として奉納された
石獅子。区内に残る数少ない江戸期の石造物の一つ。江戸期以来のものは夫婦2頭のみで、子獅子と獅子山は関東大震災で失われてしまったが、1989年に天皇即位を記念して再建された
明神男坂 大公孫樹(おおいちょう)。関東大震災により社殿をはじめとした神社の施設が崩壊した中、焼け跡に唯一残ったのがこの大公孫樹。
大公孫樹はその後ひこばえが生え、東京大空襲の焼失も免れ立派な樹木となり親木を支えることに。しかし親木は枯木につき倒木の危険性があったため上部を伐採されたが、上部は保存された
男坂。高台で見晴らしが良かったことから、風光明媚な場所として錦絵にも描かれている
境内を歩く
神馬・神幸号「明(あかり)」。名前の明は明るく平和な世を願った名前で、神田明神の「明」の文字をいただいた
千代田区指定有形文化財 神田の家。季節の行事に合わせたイベントを企画・開催しているようだ
祭祀殿・資料館。2階と3階の展示室からなる有料施設
展示室
江戸時代の神田祭。江戸の華とも言われていた。神田明神の御祭神「大己貴命」と平将門公霊をお乗せした2基の神輿とともに、山車や仮装行列などで江戸の町を埋め尽くした
現代の神田祭は神輿が多く担ぎだされるが、江戸時代の神田祭は山車が36番40本前後曳かれていた。中には高さ8mに達するものもあったとか
桃太郎山車人形。2年に1度の神田祭で神田明神境内に飾られる
現代の神田祭のジオラマ
ハム太郎・・・?
かすみん・・・?
土鈴(どれい)。古墳文化時代の副葬品、あるいは打ち鳴らして急を知らせる原始楽器の一つ。神田明神では干支を象った土鈴を正月期間授与している
神武天皇 山車人形。およそ2m30cmあり、1884年の神田祭にて実際に飾り付けられていたもの。神武天皇は日本神話に連なる最初の天皇
神田明神×タイガーマスク。令和2年に「初代タイガーマスクの武道精神と日本文化展」令和3年に「佐山武道〜初代タイガーマスクの武道精神と日本文化〜展」を神田明神資料館で開催
神田明神×初代タイガーマスクお守り
御神木ギター 勾玉。伊勢神宮の御神木を使って製作されたギター。昭和34の伊勢湾台風で倒れた御神木を、長年大切に保管してきた方から譲り受けたもの
梅花鮫皮(かいらぎさめかわ)包鞍、鐙。昭和5年頃、祭礼の際に使用する騎馬用の馬具として購入された
文化交流館。EDOCCOと呼ばれる土産屋と茶屋などが入っている
えびす様尊像。海の彼方から小さな小舟に乗って来臨されて「えびす様」のイメージを表現
神田明神のマンホール
あさり深川めし、神田祭(さい)だぁー、豆枡ストラップ
IT安全情報守護
神社声援(ジンジャーエール)、明神プリン
アニメ聖地認定プレート。ラブライブ、シュタインズゲート
東京都水道歴史館
とうきょうとすいどうれきしかん
御茶ノ水駅から約550m
東京都水道局本郷庁舎2号館の1〜3階にある施設。1階と2階が展示室となっており、2階から見る。2階は神田上水や玉川上水をはじめとした江戸上水のしくみ、1階は様々な困難を乗り越え世界有数レベルに達した東京水道の歴史や技術についてを展示している。入館料は無料。
神田上水の懸樋(かけひ)。神田上水は外掘通りの御茶ノ水と水道橋で水道専用の橋「懸樋」により神田川を越えて、神田・日本橋方面へ給水されていた。この懸樋がかけられた事が「水道橋」の地名の由来になったとか
角型木樋(もくひ)。江戸時代にはこのような木製の水道管が市中に張り巡らされていた。材料は松や檜(ひのき)
玉川上水は羽村から四谷大木戸まで水路を掘り、四谷大木戸からは地中に埋められた樋(とい)により配水された。現在の水道設備のように配水管、給水管の役割を果たすために様々な大きさや形の木樋が継手により連結され、上水井戸へ給水された
江戸の町人の多くは長屋に住んでいた。長屋には共同の井戸が設けられ、表通りの樋から引いてきた水を貯め、さおつるべで水を汲み上げて使っていた
長屋
実物大模型の取水塔
1階展示室
淀橋(よどばし)浄水場。初期は沈殿池で原水の塵芥(じんかい)を沈殿させ、ろ過地でこの水をろ過し、浄水池にためるという工程で飲料水がつくられた
浅草近くの春日通りの歩道に設置されていた消火栓。1955年代のものでカラフルな配色
蛇体鉄柱式供用栓。明治時代末頃から大正時代ごろまで使われていたもので、水の出口が竜をかたどっている。後の水道の「蛇口」の語源となるもの
自記録水圧系スタンド。水道管の中を通過する水量を計るため設置された
馬水槽(模造)。牛馬用、犬猫用、人間用の3つの水飲み場が設けられている。現在は新宿駅東口に設置されている
鋳鉄(ちゅうてつ)製の水道管。2900mmの管は日本最大のものであり、羽村取水堰から村山・山口貯水池までの導水管に使用されている
水道専用ダムとして国内最大級規模の小河内ダム。大正時代末期、東京の水需要が急速に加速することを予想して建設された
蛇口
水道歴史館に隣接する文京区立本郷給水所公苑。本郷給水所の上部にある
バラ園
バラ
神田上水石碑。神田・日本橋方面の飲み水などに利用していた江戸時代から明治時代はじめの水道。これは昭和62年から平成元年にかけて発掘された神田上水幹線水路の一部を移築復元したもの。
神田浄水(白掘部分)。この石積みは神田上水の白掘(上水道を引いた掘)の護岸に使われていたものの一部であり、間知石という四角錘の石
地球儀
←NEXT→