仲ノ町
なかのちょう
NAKANOCHO
しょうゆの香り漂う銚子電鉄本社立地駅
千葉県銚子市
銚子電気鉄道(2019年)約20人
銚子電気鉄道線
上り
銚子方面
下り
外川方面
銚子電鉄の本社と車庫がある駅。有人駅である。車庫がある関係で朝に当駅始発外川行きの列車が2本設定されている。車庫は入場券を購入することで業務に支障をきたさない範囲での見学が可能となっている。
1面1線の棒線駅だが車庫側にある側線を利用して上下線の行き違いが可能な構造である。ただし当駅で行き違いを行う定期列車はなく、側線は車両の留置場所として使われている。
駅周辺にはヤマサ醤油の工場があり稼働中は醤油の匂いが漂ってくる。当駅はヤマサ醤油の工場に囲まれた場所に立地し、なおかつ銚子駅まで徒歩約10分という近さである。このためか利用客がかなり少ない。
ネーミングライツの「パールショップともえ」とは、レジャー事業などを行う株式会社カクタが千葉県を中心に展開するパチンコ店のことである。
路線
銚子電気鉄道線
銚子起点
0.5km
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業日 1913年(大正2年)12月28日
運営形態 有人駅
※2023年10月現在の配線図です。
古い駅名標、2021年。下の「蓄音レヱル(レエル)」とは「レヱル・ロマネスク」のレイルロオドと呼ばれるキャラクターがそれぞれゆかりの土地を旅して素敵な音を紹介するバイノーラルボイスコンテンツ。銚子電鉄とコラボした
駅ナンバリング貼り付け前の古い駅名標、2018年。銚子電鉄の駅ナンバリングは2018年11月23日から導入された
古い駅名標、2023年10月14日
駅名標2
隣の銚子駅にH.ANDOがなかった頃の駅名標2
隣の銚子駅の愛称が変わった
レイルロオド・トレインon銚子電鉄 走行記念きっぷ&ヘッドマーク。銚子電鉄のデキ3形電気機関車をモデルにしたキャラクター「アルジェ」
縦型駅名標。下にある県立銚子商業高等学校銚電メイクアッププロジェクトとは、老巧化した仲ノ町駅をクラウドファンディングの支援金で改修しようというもの。目標金額100万円以上集まり、2016年に工事が行われた
ホーム。1面1線、目の前に銚子電鉄の車庫。駅舎から見て本線隣の側線は上下方向共に本線と接続しており、これを利用して列車交換できる
ホーム観音寄りにある水洗式のトイレ。当駅はトイレのない本銚子駅や海鹿島駅より利用客が少ないが、さすがに本社のある駅でトイレなしはまずい
銚子電鉄の車庫が隣接している。当駅で入場券(大人150円)を購入すれば業務に支障がない程度の見学が可能。工場に囲まれていて何とも言えない雰囲気漂う
丸ノ内線カラーのデハ1002。営団地下鉄(現東京地下鉄)から譲り受けた車両。平成23年まで鉄子カラーで運行していたが、営団地下鉄時代の塗装に復刻すべく丸の内分岐線色に変更。2015年1月10日に運用終了
銚子電気鉄道仲ノ町駅 車庫見学記念。のろりちょうし、ほんちょうし
デキ3形電気機関車。全長4.4m、日本の旅客営業鉄道線の中で最も小さい機関車。鉄道ファンに人気の車両の模様
車庫見学記念入場券。鉄道むすめ「外川つくし」デフォルメイラスト入り
駅舎の中。本社併設の有人駅。鉄道グッズやぬれ煎餅を販売している
桃太郎電鉄のキャラクター「貧乏神」。上にサルがいる「貧乏がサル」像。ハドソン(現コナミ)とのコラボ企画で寄贈された「しあわせ三像」の一体
当駅は銚子電鉄の本社でもある。こぢんまりとしていてどことなく漂う哀愁
元気ハツラツ!オロナミンCドリンク。いつからあるのか、レトロな雰囲気に合わせて設置したのか
駅前および周辺は「ヤマサ醤油」の工場。醤油工場特有の香りがする。銚子駅まで徒歩約10分と近く、運行本数から見て歩いた方が早いことも。しょうゆ味わい体験館まで徒歩約4分
銚子駅寄りにあるあじさい
駅の看板
しょうゆ味わい体験館
しょうゆあじわいたいけんかん
仲ノ町駅から約300m
キッコーマンに次ぐ全国シェア2位を誇る醤油メーカー「ヤマサ醤油」の第一工場入口にある施設。昔のしょうゆ造りの道具、ヤマサ醤油の歴史についての展示物がある。飲食・休憩コーナーでは醤油メーカーならではのしょうゆソフトクリーム、醤油ロールケーキを提供している。
ヤマサしょうゆ工場見学記念2019年8月24日
日本に現存する最古のディーゼル機関車。ドイツ製で大正末期に輸入され、昭和39年までヤマサ工場で毎日働いていた。考案者の名をとって「オットー」と呼ばれている
しょうゆソフトクリーム。みたらし団子のようなキャラメルのような
しょうゆや限定ストラップを買う
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銚子電気といえば「ぬれ煎餅」!!そもそもなんで銚子電鉄がぬれ煎餅なのか、気になったことはないだろうか。
銚子電鉄の走る千葉県銚子市は米の名産地であると同時に醤油の名産地である。現在もヤマサ醤油の本社と工場、ヒゲタ醤油の工場や営業拠点が銚子市にあるほどだ。
ぬれ煎餅のルーツだが1960年代、銚子市のとある米価店が生地の中にまでタレがしみ込んでしまった煎餅の失敗作を、売り物にならないからという利用でお客さんのおまけとして配った。これがおいしいと評判になり1963年に商品化、複数の業者が参入したのだった。つまりぬれ煎餅の発祥地は千葉県銚子市になる。
参入した業者のひとつである「イシガミ」は1995年、赤字に悩まされていた銚子電鉄にぬれ煎餅の製造技術を指導する。
銚子電鉄には昭和40〜50年代に年間150万人を超える利用客がいたが、平成に入ると100万人を下回り、現在では50万人まで減少してしまった。沿線人口の減少はもちろんモーターリゼーション化(車社会化)の影響で追い打ちがかかり、慢性的な赤字に頭を抱えていた。
そんな中、手を差し伸べてくれた「イシガミ」の助けにより銚子電鉄はぬれ煎餅を副業として開始する。「銚子電鉄ぬれ煎餅」として製造・販売をし多くのメディアに取り上げられたこともあってなんとか経営危機を乗り越えることができたのだった。
しかし2004年、銚子電鉄とその親会社の社長を兼ねていた当時の社長が借入金を横領していたことが発覚、同年に解任された。個人的な債務をそのまま銚子電鉄を背負うことになり、再び経営危機に直面する。この不祥事から補助金等の公的支援も受けられない状態になっていた。
資金調達が不可能になっていた銚子電鉄は当時の顧問税理士(現銚子電鉄社長)は銚電オンラインショップを立ち上げ、当時の経理課長(現執行役員事業本部長)が電車の運行維持のために次の一文を発した。
「ぬれ煎餅買ってください。電車修理代を稼がなくちゃいけないんです。」
この一文が銚子電鉄公式サイトに掲載されると鉄道を趣味とする人などの手によってネットに拡散された。それからオンラインショップに1万5千件もの注文が殺到し、ぬれ煎餅は飛ぶように売れた。ぬれ煎餅は10枚入りで800円と安いものではなかったがたくさん売れた。品不足に陥り、通信販売を一時停止するほどだった。
これがきっかけで倒産を回避し、銚子電鉄は存続が可能となった。ぬれ煎餅の購入のみならず、10万人を超える人々がはるばる銚子電鉄に乗りに来たというのだ。
この出来事があり銚子電鉄は現在も走り続けている。だが依然として厳しい経営状況が続いており、さらに新型コロナウイルスの打撃が追い打ちをかけている。
だが負けるな銚子電鉄。銚子電鉄は銚子のシンボルであり、力だ。これからも銚子という町を盛り上げるために走り続けてほしい。
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