曙橋
あけぼのばし
Akebonobashi
かつてのフジテレビ本社最寄り駅
東京都新宿区
東京都交通局(2021年)約15,600人
都営新宿線
上り
新宿・笹塚・
京王線方面
下り
神保町・馬喰横山・
本八幡方面
各駅停車
駅名の曙橋とは都道319号「外苑東通り」の陸橋の事。靖国通りの上を跨いでいる。駅周辺は住宅街が多く、防衛省が立地しているために新宿の繁華街に近いながらも治安の良いエリアとなっている。当駅から南に徒歩約10分の場所には丸ノ内線「四谷三丁目駅」がある。
1997年まではフジテレビの本社が当駅周辺にあったため、駅アナウンスで「フジテレビ前」と言われていた。フジテレビがお台場に移転した後、跡地は買収され河田町ガーデンという高層マンションが建設された。
路線
新宿線
新宿起点
2.3km
駅構造 地下駅
ホーム 2面2線
開業日 1980年(昭和55年)3月16日
設置場所 | 改札内 |
---|
新宿歴史博物館の東京市電気局5000形電車。新宿歴史博物館は当駅から徒歩約6分、新宿区の郷土資料を展示する博物館。そこには東京市電気局(現東京都交通局)5000形の車両前半部のレプリカがある。一部の部品は実物。現存する車体は東京都西東京市内の個人宅にある模様。
駅名標
駅名標2
ホーム
非常出口の案内
出口の案内
ホーム新宿三丁目寄りにある住吉町方面改札
住吉町方面改札、A1・A2出入口周辺。住吉町交差点。周辺にはかつてフジテレビの本社があった
A1出入口
A2出入口
非常出口の案内2
ホーム市ヶ谷寄りにある靖国神社方面改札
靖国神社方面改札、A3・A4出入口周辺。右に見えるのは駅名の由来である曙橋
A4出入口
駅の看板
ちょっと古い駅の看板
東京おもちゃ美術館
とうきょうおもちゃびじゅつかん
曙橋駅から約600m
四谷三丁目駅から約450m
旧四谷第四小学校の校舎を使ったおもちゃの美術館で約5千点の玩具を展示する。交流・体験型のミュージアムで実際におもちゃを手に取って遊ぶことが可能。子供はもちろん大人でも楽しめるようにアナログゲーム、日本の伝統おもちゃも集められている。
グッド・トイてんじしつ。市販のおもちゃの中から毎年おもちゃコンサルタントが選出したおもちゃで遊べる
たくさんのおもちゃが並ぶ
見て楽しむ「きかくてんじしつ」
こけしやからくり人形の展示
靴を脱いで上がる「おもちゃのもり」。木のぬくもりに溢れる部屋
木のおもちゃがたくさん
アナログゲームが集まるゲームの部屋
テーブルサッカー
フランスのアーティストによるブリキ作品「サンタクロース号」
昔ながらのおもちゃが集まる「おもちゃのまち あか」
小さく切り出した木の部品を組み合わせて幾何学模様を作る「組子」
色鮮やかな錦紐を巻き、重ねて作った巻胎(けんたい)という技法を使った京都の伝統工芸のこま「京こま」
ままごとあそびや玉転がしおもちゃなどが集まる「おもちゃのまち きいろ」
GOKKO HOUSE(ごっこハウス)
新宿歴史博物館
しんじゅくれきしはくぶつかん
曙橋駅から約450m
四谷三丁目駅から約600m
新宿区の郷土資料を取り扱う博物館。地上3階、地下1階の構造で常設展示室と企画展示室どちらも地下1階にある。常設展示では内藤新宿のジオラマ、江戸時代の商家、都電5000形のレプリカ、昭和初期の文化住宅の復元家屋があり撮影ができるようになっている。
四谷見附橋 高欄(こうらん)。現在の国道20号線「甲州街道」にかかる橋で、デザインは近くの赤坂離宮の外観と調和させたネオ・バロック様式。橋は1991年に道路拡幅のために架けかえ、再使用できない部材の一部が当館に寄贈された
内藤新宿とは日本橋を起点とした甲州街道最初の宿場。町の一部が内藤家の屋敷地だったので内藤新宿と呼ばれた
新宿区内にあった商家。商人は職人とともに町の代表的な一員で、江戸時代には「士農工商」と言われ、武士・農民・職人よりも低い位置づけだった
商家の中を覗く
かつて新宿駅を走っていた都電5000形のレプリカ。「チンチン電車」の名で親しまれた昭和初めの東京市電。一部の部品は実物のようだ
昭和10年頃の落合に借家住まいをするサラリーマンの住宅。大正の末から昭和の初めにかけて山手線沿いにサラリーマンの住宅が立ち並ぶ
生活の洋風化と合理化を反映し、和風住宅に洋風の応接間がある文化住宅が流行していた
小田急ロマンスカー3100型NSE車
3100型の運転席が実写の部品を用いて復元されている
3100型の座席
消防博物館
しょうぼうはくぶつかん
曙橋駅から約600m
四谷三丁目駅前
四谷消防署と併設された、東京消防庁の歴史と活動に関する展示を行う博物館。消防の歴史に触れながら防火・防災について学ぶことができる。実際の消防車・消防ヘリコプターも展示されていて5階にある消防ヘリコプター「かもめ」は運転席に乗ることが可能。
シュド・アビエーション アルウェット3型。東京消防庁に航空隊が設置されたのは1966年で、その翌年にフランスのシュド・アビエーション社からヘリコプターの1号機を購入し、「ちどり」と命名した
トヨタ救急自動車。高規格救急自動車が導入される平成3年まで標準的な救急車として活躍した
マキシム消防ポンプ自動車(右)、スタッツ消防ポンプ自動車(左)
アーレンス・フォックス消防ポンプ自動車。大正13年に輸入され、丸の内分署(現丸の内消防署)に配置された
イベコ・マギルス梯子自動車。バスケットを載せなおかつバスケット内で操作が可能であり、起伏角度が水平下まで対応できる
遠隔操作式消火装置(ジェットファイター)。電話線等のケーブルトンネルや地下街の火災現場で、遠隔操作により消火活動を行う
交通事故等で車内に閉じ込められた人を救出するために、車のドアの狭い隙間を開いたり潰したりする「油圧式スプレッダー」。重さは約20kg
災害現場で障害物を切断する「エンジンカッター」。円盤型の切断刃を高速回転させて鉄材や木材、コンクリート等を切断する。重さは約13kg
災害が発生すると人命が危険にさらされ消防活動は一刻を争う。素早く確かな行動をとるため消防隊員は日頃から専門的な知識や技術の習得に努めている
明治時代から昭和初期にかけての消防は装備の近代化によって大きく発展した
二輪消防車(赤バイ)。交通渋滞が著しいことを背景に、1969年から暫定的に運用を開始した
馬牽き蒸気ポンプ。蒸気機関で動かすポンプであり、石炭で火をおこしてから放水に必要な蒸気圧力が得られるまで約20分を要した
江戸時代の消火方法は破壊消火と言われ、組頭などが風向きや火の勢い、家並みの構成などを判断し取り壊す家を指示して延焼を食い止める
いろは48組、本所・深川16組の纏(まとい)。町火消の「纏持ち」が用いるもので纏持ちは火事場の屋根の上にあがり、纏を振りたてて消火活動の目印とするとともに士気を鼓舞した
アエロスパシャル・アルウェット3型(かもめ)。1972年に東京消防庁航空隊に第3号機として配置され、16年の間災害や救命患者の搬送に活躍した。運行時間は4957時間50分
かもめの運転席の中に入れる
5階屋上はなかなかの見晴らし
←NEXT→