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土樽
つちたる
Tsuchitaru
長いトンネルを抜けると秘境駅であった
JR東日本
上越線(高崎起点)80.1km
開業日 1933年(昭和8年)12月8日
上越国境の長い清水トンネルを抜けた先にある無人駅。群馬県との境あたりに位置している。
2004年まで下り(越後湯沢方面)ホームから直結する形で土樽スキー場があった。駅構内を通り抜けて出入りするスキー場で、ゲレンデまで徒歩約3分。
駅周辺
駅周辺は山の中で人家はなく、関越自動車道が駅前を通っているだけで目立つ場所はない。車の音が止むことがないものの秘境駅と呼ぶのにふさわしい場所。
当駅と越後中里駅の間で通る毛渡沢橋梁は重厚感のある古いレンガ造りから日本の美しい鉄道陸橋としてよく取り上げられる。
その他
川端康成の小説「雪国」の冒頭部分「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号場に汽車が止まった。」は上越線に乗り清水トンネルを抜けた先にあった信号場(土樽駅)の情景を表している。
駅名標
駅名標2
縦型駅名標。新潟県・庄内エリアデスティネーションキャンペーンのシンボルマーク入り
当駅海抜五九九米(599m)
跨線橋で移動する相対式ホーム。山のど真ん中に当駅はある
跨線橋から眺める景色。山しか見当たらない
跨線橋にある「つちたる」の文字
跨線橋にある「つちたる」の文字2
当駅がホームに接する副本線と本線(通過線)を持つ2面4線だった頃の名残が残る。こちらは1番線のもの。現在はホーム改築工事により副本線を廃止し本線上にホームを設けている
近代化産業遺産 土樽駅 清水トンネル。清水トンネルは、上越線土合駅と土樽駅間に位置する延長9702mの鉄道トンネルです。掘削当初は、手掘りによる掘削作業でしたが、その後機械掘りを開始するなどとともに作業員の3交代制の導入など多くの難所を征服して、昭和4年12月に導抗が貫通しました。
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駅舎の中。自動販売機が設置されている。今は使われていない駅事務室が残っている
トイレは男女共用の汲み取り式の和式。トイレは綺麗に掃除されており全く臭くなかった
越後湯沢・小出・長岡方面のお客さまは、階段をお渡りください。水上・高崎方面は、こちらのホームです。
非常時や列車遅延時の時に問い合わせに使う電話。どこに繋がるんだ?
懐かしの鉄道写真
懐かしの鉄道写真2
人家一つすらない駅前。駅前を関越自動車道が通っていてあたりには車の音が響き渡っている
訪問当時は関越自動車道で何か工事をやっていて作業員や警備員の姿が見られた
駅の看板
登山カードと公衆電話
「雪国」文学散歩道、信号所。小説の冒頭、島村が同じ汽車に乗り合わせた葉子にいっそう関心をもった場面。小説の中に登場する信号所は、当時単線の上越線で列車運行には、重要な役割を果たしていた。現在は、土樽駅として夏の登山客などに利用されている。
谷川連峰案内図。事故防止のために地図を携帯しましょう。
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毛渡沢橋梁
けどさわきょうりょう
土樽駅から約1.5m
上越線「土樽」〜「越後中里」間の橋梁。JR上越線清水トンネル関連施設群として土木遺産に指定されている高さ10m以上にもなるレンガ造りの橋梁で、その景観から鉄道ファンやカメラマンに人気を集めている。上り線(水上方面)がレンガ造りの方を通り、下り線(越後湯沢方面)の橋梁は複線化の際に造られたコンクリート橋を通る。
歴史と重厚感がひしひしと伝わってくる橋脚。今は上り線(水上方面)のみこの上を通るが、上越線が単線だった時代は上下線ともこの橋の上を通っていた
下り線(越後湯沢方面)のコンクリート橋。上越線は1971年に複線化
フォトジェニックな場所。上越線が走っている様子を取る際は本数がとても少ないため注意
すぐ近くにある東京発電株式会社土樽発電所。心ない一部の鉄道ファンがこの敷地内に無断侵入し鉄道写真を撮っており、不法侵入した場合は監視カメラ映像を証拠に警察に通報する、と書かれた看板があった
