上総中川

かずさなかがわ

Kazusa-Nakagawa

鉄道車両保存施設「ポッポの丘」最寄り駅

所在地

千葉県いすみ市

1日平均乗車人員

いすみ鉄道(2019年)約10人

Train line

いすみ鉄道線

上り
大原方面

下り
大多喜・上総中野方面

どんな駅?

いすみ鉄道

 

1面1線の棒線駅。トイレ未設置。

 

ネーミングライツのNIGO(ニゴウ)とは当駅周辺にある山の隠れ家カフェおよびギャラリーのことである。当駅から約2km。

 

駅周辺

 

当駅から約2kmの所にある「いすみポッポの丘」はかつて運行されていた国鉄の車両などを展示している。だいぶ歩くが鉄道ファンにとってはたまらない施設であろう。

いすみ鉄道
 

路線

いすみ線

大原起点
11.9km

 

 

駅構造 地上駅

 

ホーム 1面1線

 

開業日 1930年(昭和5年)4月1日

 

運営形態 無人駅

 

Gallery

駅名標。いすみ市の前身夷隅町、さらに前の中川村。駅名や橋に名前をとどめる

かつての駅名標。木製で穴が空いている。隣の駅名が上から張られているが、城見ヶ丘駅開業後に訂正したのだろうか?

いすみ市に本社を持ち、液晶モニターなどを開発・製造する「JAPANNEXT(ジャパンネクスト)」が2024年4月1日よりネーミングライツを取得。Nの文字に合わせ部分的に文字の色が変わっている

1面1線ホーム。ホーム国吉寄りに桜並木や菜の花があり、鉄道撮影におすすめ

待合所

七福神

いすみ市案内図、上総中川駅周辺マップ。ポッポの丘、札森の桜、光福寺

駅出入口。民家の間にある

駅の看板。木製で温かみがある。テープの下にはネーミングライツだった「NIGO」の文字がある

かつての駅の看板。かなり錆びていて、いすみ鉄道の文字が確認しにくいほど

駅前は国道465号線。当駅にトイレはなく、コンビニも近くにない。いすみポッポの丘まで徒歩約35分

道路にある駅の看板

Spot

いすみポッポの丘

いすみポッポのおか

上総中川駅から約2km


ファームリゾート鶏卵牧場が運営する元養鶏場の土地を利用した鉄道車両保存施設。入園料は無料。国鉄時代に運行されていた古い車両などの見学ができ、一部は車内に入れる車両もある。また売店やカフェが設けられている。

多くの車両が展示されている

国鉄の匂いがムンムンする

一部の車両は車内が休憩所やギャラリーになっている

「カフェT・K・G」では養鶏場直送の卵を使った卵かけご飯が食べられる

いすみ鉄道公式キャラクターの「上総いすみ」

ポッポの丘マスコットキャラクターの「下総おうみ」

車内の展示物にも懐かしいものがある

クリアファイル

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Column

いすみ市に眠る車両

 

 

上総中川駅から約2kmの場所、「いすみポッポの丘」と呼ばれる鉄道車両保存施設が立地する。元養鶏場の土地を利用して運行を終えた車両を展示している場所なのだ。展示車両がかなりの数で鉄道ファンの人にはたまらないスポットとなっている。ここではポッポの丘に保存されている車両の一部を見てみよう。

 

千葉都市モノレール1000型電車
昭和63年3月28日~平成24年12月24日まで運行され、走行距離は地球約44周分。平成24年12月28日にポッポの丘に無償譲渡され、平成25年1月25日搬入されました。

 

国鉄24系25形寝台客車
国鉄が製造した2段式B寝台車で「オハネフ25-211」は1980(昭和55)年に新潟鐵工所で製造され、京都の向町運転所に新製配置されました。

 

1987(昭和62)年の国鉄分割民営化に伴いJR九州の所属となり、「新大阪」~「西鹿児島」間の「なは」や、「東京」~「西鹿児島」間の「はやぶさ」などで活躍しました。

 

2008(平成20)年に廃車となりましたが、その後東映(株)が譲り受け、翌年東京・高輪プリンスホテルで開催された「大鉄道展」で車体の一部をカットして展示されました。

 

その後、オハネフ25-211保存会が所有し、群馬県内で保管していましたが、2021年1月からポッポの丘で保存展示させていただくことになりました。

 

デハ701(1枚目) デハ702(2枚目)
この2両は1928(昭和3)年に川崎造船所で製造された木造両運転台の電動貨車です。1941(昭和16)年に日本鉄道自動車で鋼体化され、旅客車両として滋賀県の近江鉄道で使用された車両です。

 

1978(昭和53)年に銚子電鉄に譲渡され、2010(平成22)年まで活躍しました。

 

国鉄キハ38形気動車
1986(昭和61)年、国鉄大宮工場にてキハ35形、152号車の台車、変速機等を利用して製造され、高崎に配置され八高線で使用されます。

 

1996(平成8)年には木更津に配置され久留里線で利用されます。2012(平成24)年12月1日に定期運用を終了し、12月19日東日本旅客鉄道株式会社よりポッポの丘に譲渡されました。

 

丸ノ内線400形電車
昭和31年に300形の増備車として川崎車輌で製造され、昭和63年まで活躍し廃車となる。

 

平成元年に三越日本橋本店入口前にて展示販売が行われその後、日出幼稚園(東京都目黒区)にて、園児達に親しまれながら保存利用される。平成24年には幼稚園建て替えのため同年8月27日にポッポの丘に無償譲渡されました。

 

国鉄183系特急型電車 クハ183-1527
183系1500番台は、1000番台を基本に総武快速線「東京」~「錦糸町」間の地下区間で使用されていた保安装置(ATC-5型)を搭載したグループで、新造されたクハ183-1501~1506と改造によって誕生したクハ183-1525~1532の計14両が存在しました。

 

クハ183-1527は元々181系の置き換えよ用として製造されたクハ183-1027で、上越線の特急「とき」で使用されていました。その後保安装置の改造を施した上で幕張電車区に転属、房総各線(さざなみ・わかしお・しおさい・あやめ・すいごう)として活躍しました。

 

2015年に廃車され、ポッポの丘で保存されています。

 

国鉄183系特急型電車 クハ183-21
183系0番台は総武本線(総武快速線)「東京」~「錦糸町」間の地下区間及び房総東線(現外房線)の電化完成に伴い、急行列車の一部を特急列車に格上げするために製造されました。

 

地下区間を走るため、運輸省(現国土交通省)が定めた防火基準「A-A基準」を採用し、非常口の避難口として使用できるよう前面は貫通構造になっています。多客期には他の編成と連結の上で貫通扉を採用し、中間車として使用されたこともあります。

 

クハ183-21は新製から廃車までの34年間、一度も転属することなく幕張電車区に所属し、主に房総各線の特急列車(さざなみ・わかしお・しおさい・あやめ・すいごう)として活躍しました。

 

2006年に廃車され、2013年にポッポの丘に移設されました。因みに183系0番台の保存車両は全国ここだけしかありません。

 

国鉄113系近郊型電車 クハ111-2152
113系2000番台は、1978年から製造された地上線用のグループで、0番台を基本にシートピッチや座席幅を広くして登場しました。

 

クハ111-2152は田町電車区に新製配置され、その後国府津電車区に転属しました。利用者からは長らくの間「湘南電車」として親しまれ、東海道線で使用されていましたが新型車両の投入により撤退、横須賀色に塗装変更の上で幕張車両センターに転属しました。

 

2009年に再び湘南色に塗装が戻され、房総各線の普通列車や東海道線でのリバイバル運転に使用された後、惜しまれながら2011年に引退・廃車されました。ポッポの丘には2013年に移設してきました。

 

このようにポッポの丘には今では貴重な車両がズラリと並んでいるのです。今回紹介した以外にもまだまだありますので、興味のある方はぜひポッポの丘へ。

 

↓以下おまけ↓

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旅はどんなに私に生々としたもの、新しいもの、自由なもの、まことなものを与えたであろうか。旅に出さえすると私はいつも本当の私となった。