所在地
千葉県船橋市
1日平均乗降人員
東武鉄道(2021年)約12,100人
2面2線ホームの急行通過駅。隣の船橋駅までは約1.4kmと短く、大きく東にカーブするため下り列車は低速運転を強いられる。駅名はただ単に塚田駅と船橋駅の間に新しい駅ができたから「新船橋」であり特に深い理由はない。他の「新」がつく駅もそのような感じなのだろうか?
当駅周辺は工業地帯の一角だったが時代の流れとともに工場の閉鎖や縮小が進み、商業施設や住宅街に姿を変えていった。徒歩約10分で東葉高速線の東海神駅に行ける。
東武アーバンパークライン
(上り) |
(下り) |
普通 | |
駅名標2
ホーム
改札
東口はマンションが立地する住宅地
船橋市飛ノ台史跡公園博物館
ふなばししとびのだい
しあとこうえんはくぶつかん
新船橋駅から約550m
縄文時代早期の遺跡「飛ノ台貝塚」を整備して公園とした場所に立派する博物館。飛ノ台貝塚や市内の遺跡から出土した遺物などの展示を行っている。館内の撮影は可能だが、事前に簡単な紙に書いて事前申請が必要。
飛ノ台集落全景。数件の竪穴住居や穴が生活の場、入り江では貝や魚などをとり、林では木の芽や野草をとり、自然の恵みに囲まれて生活していたと考えられる
野島式土器。飛ノ台貝塚で出土した縄文時代の土器。波型の口の部分に刻み目があり、Y字状の文様が特徴
イルカ頭骨。貝塚では鳥や獣の骨などが見つかっているが、イルカの骨も見つかっている
貝塚の断面を樹脂で固めてはぎ取ったもの。貝殻の他、土器や石器などが混じっている
こぶし大の石がまとまって見つかった場所があった。石は火の熱を受けた事がわかり、石による蒸し焼き料理に使われたと考えられる
飛ノ台貝塚から見つかった土器は、貝殻で土器の表面をひっかいたり線を引いたりして文様をつけている
土器の表面を眺める
竪穴住居内の再現。地面にあるくぼみには火の熱を受けた跡がある
飛ノ台貝塚では2体の屈葬人骨が抱き合うような形で見つかった。縄文時代早期の墓としては大変珍しく、専門家の鑑定によると壮年期の男性と思春期の女性だと判明した
縄文時代ではアサリやハマグリなどを土器に入れて、煮て食べた。煮ることで実は柔らかくなり味も変わって食べやすくなった
貝輪。古代の人は単なるアクセサリーではなく、悪霊から身を守るためにつけていたのかもしれない
縄文時代では貝刃という貝殻のふちを欠いて刃を作り、魚のうろこを剥いだりしていた
アカニシからとれる液は紫色になるので貝紫と呼ばれている。船橋市内の貝塚からはアカニシが出てきているため、縄文人が利用していたことがわかる
博物館に隣接する飛ノ台貝塚史跡公園
縄文人の住居跡
十字に土手を残した発掘調査。十字に土手を残して断面を観察し、土の色や土の中に混ざっているものの違いによって土の層を区別する。土の層の様子から住居跡が自然に埋まったのか、あるいは人が埋めたのかなどがわかる
発掘された遺構。土器や石器を発見すると出土した位置や土の層などを記録する
住居跡と炉穴群・合葬人骨。楕円形の穴の片側は火の炊かれた後があり、煙突のような煙出しの穴が見られる。また2体の人骨が抱き合うようにして埋葬された合葬人骨が見つかっている。
東武鉄道 | ||
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駅構造 | 高架駅 | |
ホーム |
2面2線 |
|
開業日 |
1956年(昭和31年) |
|
路線 | ||
東武野田線 |
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駅番号 | TD34 | |
キロ程 |
61.3km |
|
塚田 |
船橋 |
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年度別1日平均乗降人員 | ||
2010年 | 4,320 | |
2012年 | 9,560 | |
2014年 | 11,900 | |
2016年 | 13,300 | |
2018年 | 13,900 | |
2019年 | 13,900 | |
2020年 | 11,200 | |
2021年 | 12,100 |
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